2011秋季総合特集5・トップインタビュー/村田機械社長・村田大介氏

2011年11月11日 (金曜日)

 「“世界のフラット化”が、一段と加速しており、先進国の仕事が新興国に移動している」――村田機械の村田大介社長は指摘する。同時に「失ったものは取り返すしかない。そのためには、経済全体のパイを大きくすること」と話す。中国やインドではできないモノ作りで日本の活路を見出すことが大切だ。また、「省エネルギーや省資源はメーカーの責務。『ボルテックス』もその一つの答え」だ。21世紀こそモノ作りの世紀ととらえる同社は、引き続きユーザーに貢献する機械提供を第一にすえている。

(むらた・だいすけ)

1987年村田機械入社。94年取締役、97年常務取締役、2000年専務取締役、03年から社長。

21世紀こそモノ作りの時代/省エネ、省資源はメーカーの責務

――繊維機械は好調な販売が続いています。

 実は4月以降は受注量が減少しています。綿花・綿糸価格が下落に転じたことや、中国での金融引き締めの影響です。ただ、これまでが良過ぎたわけで、正常な状態に戻ったとも言えます。当社の場合、とくに自動ワインダーが好調でした。中国を中心に手動機から自動機への更新が加速しています。北米からも数年ぶりに受注がありました。ドル安によって米国の輸出競争力が回復しています。渦流精紡機「ボルテックス」も順調に拡大しており、9月の国際繊維機械見本市「ITMA2011」では新型機「ボルテックスⅢ870」を発表しました。来年から新型機の出荷が始まりますから、この効果も期待したいですね。

――自動ワインダーも新型「QPRO」と参考出展でドラムレス方式自動ワインダー「FPRO」も発表しました。

 予想以上に注目を集め、中国、インド、トルコなどから引き合いが寄せられています。FPROも予想以上にご高評をいただき、完成後はQPROとは別のシリーズとして販売していきます。多様な巻き形状や巻き密度に容易に対応でき、かつリボン巻きの心配のない新技術には、特殊な糸種や用途も含め大きなニーズがあります。

――上期を振り返ると。

 全体としては増収も減益の見通しです。やはり円高の影響が大きかった。通期で約50億円の為替差損が出る計算になりますから。それでも繊維機械事業は健闘していると言えます。また、工作機械事業も受注は堅調でした。やはり現在の円高は異常な水準です。購買力平価から考えれば、1㌦=100円程度が限度。このまま円高が続くと日本の産業全体が疲弊して、ますます日本人の所得が低下することを危惧しています。

――生産を海外に移す動きもありますが。

 繊維機械は市場が小さいですから、日本と中国に複数工場を維持することは難しいでしょう。品質維持のコストも考慮すれば、海外生産は簡単ではありません。結局、1㌦=76円でも売れる機械を開発するしかありません。

――下期の重点課題は。

 まず新機種の生産体制を立ち上げ、計画通りに1号機を出荷すること。受注状況に不透明感が増しているので、よく分析する必要もあります。今期から5カ年の中期経営計画をスタートさせていますが、テーマの一つが販売だけでなく調達も含めた国際化。それとイノベーションです。当社は技術のユニークさで成長してきた会社ですから。2016年度には売上高3000億円が目標ですが、現在の工場の生産能力では足りません。いずれ増設も検討課題になります。その際、国際化が重要な要素になります。

――震災に欧州の経済危機と、大きな変化の兆しが起こっています。

 05年に『フラット化する世界』という本が出ましたが、一段と先進国から新興国に仕事が移動しています。これを世界的に見れば、先進国と新興国の格差が縮小して平等に近づいているということですから、世界が幸せになっているということです。その上で、失った仕事は取り戻すこと。それが国際競争です。経済全体のパイを増やすことも大切です。その意味でも輸出は裾野が広いので重要なのです。例えば外国人が日本に観光に来るのも広い意味で観光資源の輸出です。結局、中国やインドに無いモノを作るしかありません。それと機械メーカーはエネルギーを消費し、廃棄物を出しますから、省エネや省資源は責務。ボルテックスⅢは、その一つの答えです。改めて21世紀こそモノ作りの世紀だと考えています。

心に残る出会い/油の臭いの原風景

 村田さんが、まだ幼稚園に通っていたころ、祖父である村田禎介翁に当時の吉祥院工場に連れて行かれたことがある。「生まれて初めて工場に入ると、金属を加工する音と機械油の臭い。今でも、その音と臭いが鮮明に頭に残っている」とか。それは、幼稚園の友達たちの誰もが知らない世界を自分だけが知ったという不思議な興奮を村田さんに与えた。「今、こうして機械メーカーで働いているのも、あの体験が原点だったかもしれない」と振り返る村田さん。それは、祖父から受け継がれた大切な原風景のようだ。