我ら朋友(ポンユー)!/昔はヨットとアメフト、いまは中国
2012年01月01日 (日曜日)
東洋紡の香川裕行取締役常務執行役員とオーミケンシの井畑雅年執行役員は、京都工芸繊維大学に1970年入学の同級生。当時の仲間たちと、いまでもゴルフや会食を定期的に行うなど交流が続く。
オーミケンシ執行役員近絹〈上海〉商貿董事・総経理・井畑雅年氏
東洋紡取締役常務執行役員東洋紡スペシャルティズトレーディング社長・香川裕行氏
香川裕行東洋紡取締役常務執行役員(以下、敬称略) 井畑さんと言えば、学生時代はヨットのイメージ。授業よりも琵琶湖にばかり行っていたような記憶がある。
井畑雅年オーミケンシ執行役員(同) 大学に入ったらヨットをやろうと思っていたのに、ヨット部がなかった。そこで1年生のとき仲間たちと同好会を立ち上げた。香川さんは、アメフトでしょう。
香川 2年生のときに経験者の後輩が2人入学してきたので、やっぱり自分たちで部を立ち上げた。それで最初の試合相手が姫路工業大学。ところが試合中、こっちにけが人が出て11人対10人で戦うからボロ負けですよ。
井畑 僕も2年生で全日本学生ヨット連盟2部の公式戦に初出場し、やっぱりボロ負け。そこで大阪大学の友人に理論的なところから指導してもらった。おかげで4年生のときは2部戦で個人トップだった。これで全日本学生ヨット選手権個人戦に選抜出場できた。
香川 アメフト部は京都大学の関係者に指導を受けていましたね。4年生では、下部リーグとはいえ強豪校になった。
井畑 クラブでお金がかかるでしょう。当時、ヨットは中古の中古で10万円ぐらい。だから肉体労働のバイトばかりですよ。
香川 アメフトも当時、用具一式11万。11人でプレーするから計121万円いるわけで、僕もバイトで稼ぎましたね。
井畑 でも、香川さんはお金持ちだった。学食で、みんながA定食なのに、一人だけS定食みたいな。自動車も持っていたし。
香川 中古の「スバル360」ね。当時、バイトで学習塾の事務長のような仕事をしていたから、通うのに必要だった。でも、友達たちが「貸してくれ」というから貸すと、壊れて戻ってきたり。ほんと無茶苦茶された(笑)。
井畑 なにしろ繊維工学科は50人1クラスだけだから、クラスメート全員のことが分かっていたよね。香川さんは卒論を書き上げるのも早かったでしょ。確か流体力学の紡績での応用をテーマに。
香川 早く書き上げようと思って、出たばかりのオムロンの電卓を買ってね。ところが、文字盤が奇妙な緑色。ある日、夢で緑色の文字が出てきて気持ち悪くなったのを今でも覚えている。井畑さんは、確か繊維材料学がテーマでしたね。
井畑 材料の形態を調べるのに電子顕微鏡やX線撮影を使った。けっこうコツが必要で、僕はうまかった。
香川 当時の京都工繊大では最先端分野だった。それで井畑さんは大学院に進んだ。社会人になってからは、お互いに工場勤務ばかりだったので、なかなか会う機会もなかったけど、ここ10年ぐらいかな、大阪近辺で勤務する仲間が増えて、また交流するようになったのは。
井畑 ちょうど本社勤務になる仲間が増えて、しかも管理職になったから、あまり遅くまで会社に残っているのはよくない。そんなわけで一緒に一杯飲み屋に行ったりしてね。
香川 年に2回ぐらいはゴルフコンペもやっているけど、毎回3グループはできるくらい集まる。
井畑 僕は今年、60歳になる。この年になると、自分の健康は自分で守らないといけない。今年は、そのための健康法を見つけたい。
香川 上海のような海外に勤務すると、健康はとくに大事だからね。僕も仕事の面で今年、中国展開を本格化させる計画なので、そこで成果を上げることが目標。
井畑 それは僕も同じ。近絹〈上海〉商貿は、設立して7年目に入る。まだヨチヨチ歩きの会社だけれども、しっかりとした会社にしていきたい。そのためには、中国の内販が重要。
香川 お互い、今年は中国が大きなテーマだ。
井畑 次は一度、上海で会いたいね。