ズームイン/東レコーテックス社長に就いた木下淳史氏/売りは“メードイン京都”

2014年07月11日 (金曜日)

 東レコーテックスの前身は第一レース。京都市内に本社と工場を置き、透湿・防水加工「エントラント」を東レと共同開発するなど、染色加工分野でナイロン織・編物のチョップ工場だった

 木下さん自身も20、30代はオペロン織物課やナイロン織物輸出課に籍を置き、足しげく通った経験がある。「約20年ぶりに戻ってきたことになる」と感慨深かげ。

 その20年の間、双方に大きな変化があった。社名は東レコーテッスとなり、東レの全額出資子会社に。事業内容も今では化成品や研磨材など非繊維が売り上げの半分近くを占める。小規模ながらも自社で重合設備を有しており、「総合化学メーカーのミニチュア」。

 一方、木下さんは貿易2部時代に現在の東麗酒伊織染〈南通〉の立ち上げを担当し、1999年からは3年半、営業担当として上海に駐在。海外繊維部ではスタッフとして丸井織物〈南通〉や東麗即発〈青島〉染織の事業化にかかわった。10年から4年間、再び上海に駐在し、東南アジア縫製も含めて日本向けアパレルOEM事業を手掛けた。東レ中国繊維事業拡大の現場を経験してきたことになる。

 そして今。「大ロットや汎用品には手を出さない。うちらしく“メードイン京都”を売り込む」と意気込む。逆風だった為替も円高是正で順風に転じた。「上海で日本向けをやっていたときとは立場が完全に逆転した」と苦笑する。営業畑が長かっただけに「営業の最前線に立ち、“攻め”の社風を定着させたい」とも。

 出社するとワーキングユニフォームに着替え、安全靴に履きかえる。「この服装も社長業ももちろん初めて。戸惑うことばかり」と言いながらも、全事業の黒字化による収益のV字回復に向けて全力疾走する構え。座右の銘は「初志貫徹」だ。(高)

 きのした・あつし 1981年早大・政経卒、東レ入社。貿易第2部長繊維貿易課長、海外繊維部海外テキスタイル室長、縫製品事業企画推進室長、東麗国際貿易〈中国〉繊維部門長などを経て、2014年6月から現職。56歳。生家は京都・西陣で糸染めを営んでいた。“糸へん”との縁は深い。