ズームイン/クラレの繊維資材事業部長に就いた 松尾 信次 氏/皆がハッピーになるように

2015年02月09日 (月曜日)

 前任の豊浦仁氏と同じく繊維資材一筋。しかも、ほぼすべての用途を担当してきた筋金入りだ。気取らず、ざっくばらんな話し方は衣料用に向いているようにも思えるが「ほかをやってみたいと思ったことはない。100%仕事していないから」と笑う。

 就職活動で名前を知っていた(当時、クラレは結婚式場「クラレ白鷺」を運営)ことから会社訪問。説明を受けて初めてクラレの企業概要を知ったという強者でもある。

 対応した担当課長は伊藤文大・現会長。当時は金融志望が多く、松尾さんもその一人だったが「うちに来ないか」の一言で、入社を決める。以後、一貫して繊維資材の営業を担当してきた。

 最初の配属は加工課。前年から加工課で発注業務を1年間学ぶ仕組みがあり、松尾さんは帆布、テント地など重布の発注と物流をみっちり勉強する。1年経過し、当然重布と考えたが、東京赴任を命じられ、ビニロンによるアスベスト(石綿)代替分野を担当する。欧州のような規制がなく、国内は一からの市場開拓でスレートメーカーへの営業開発的な仕事を続け、土木資材へ。その後、10年ぶりに大阪へ戻るが、担当は漁網など水産資材やロープ、縫い糸などいわゆる「伝統分野」。加工課で学んだ重布は遠い。ようやくたどり着いたのは入社14年目だったが、3年前の2011年には自ら重布事業を子会社のクラレプラスチックスに移管することになるとは想定外だったかも。

 担当分野が多岐にわたる松尾さん。本心かどうかは知らないが「新天地に移れば吹っ切る。吹っ切らないといけない」と心掛けている。

 1月から事業部長として繊維カンパニーの主力である繊維資材を任された。「まだまだ高収益とは言い切れない。さらに成長できるようにしたい」と話す。一方、伊藤正明社長が15年に掲げた「安全・安心な職場、会社が幸福の実現につながる」いう方針にも通じるが、松尾さんも「業績だけなく、需要家も含めて皆がハッピーになれるようにしたい」と語る。(貴)

 まつお・しんじ 1985年阪大・経済卒、クラレ入社、2008年繊維カンパニー繊維資材事業部東京繊維資材部長、11年繊維資材事業部原料資材第二部長、15年1月から繊維資材事業部長。大阪府出身。53歳。