探訪/モノ作りの現場から/菅公学生服/米子工場/大山工場
2015年05月29日 (金曜日)
真摯なモノ作りと向き合う
入学式で新入生全員がおそろいの制服を着用する――当たり前のシーンであるが、一人ひとり、入学式でサイズの合った制服を着用できるのは、実は学生服メーカーがしっかりとした生産基盤を国内に持っているからということはあまり知られていない。日本の衣料品の輸入比率は現在96%を超える一方、制服は逆に80%以上が国産と言われ、だからこそ入学式までに制服を安定して供給することができる。今回、学校に制服を供給し続ける工場にスポットを当て、真摯(しんし)なモノ作りにかける学生服メーカーの想いを伝える。
米子工場/“日々技術の練磨”で50年
岡山から車で高速道路を北上し、日本の四名山の一つに数えられる大山を眺めながら、約2時間のところに、菅公学生服の米子工場(鳥取県米子市)がある。従業員は275人、ミシン約500台、CAM6台の設備をそろえ、カッターシャツやブラウス、ニット製品、スカートなど8つの製造ラインで年間約101万着を生産する。
米子工場は周辺の自社工場のなかでも基幹に位置づけられ、距離約100㌔、所要時間2時間以内に40~100人規模の衛星工場が6工場ある。米子を含めた7工場全体で35の製造ライン、制服から体育衣料まで年間287万着の生産規模を誇る。
設立は東京オリンピックが開かれた1964年。同社にとって初めての県外工場とあって、当初は最新鋭のカッターシャツ専門工場としてスタートした。“東洋一のシャツ工場”を目指し、1970年代には1日6000枚の生産量があったが、時代の流れから1980年代後半には大量生産から多品種少量生産に転嫁してきた。
入学シーズン前、12~3月のスクランブル(サイズの隔たりによる納品の調整)が多発する、1年で最も忙しい時期に、「いかに生徒さんに良い製品をスピーディーにお届けできるかポイントになる」と話すのは、米子工場の新地文人工場長。ラインの多能工化を進め、「タイムリーに製品を供給できる」仕組みが、同工場の一番の強みと言える。スクランブル期に製造ラインへ裁断品を素早く供給できるよう、この4年間で4台のCAMを導入してきた。
最近では布帛だけでなく、需要が拡大するニット製品への対応を強め、2ラインがニット製品専用ラインとなっている。
ミシンはすべて独自の改造がなされ、故障しても自社ですぐ修理できるように、どの工場にも設備担当者を配置する。まさに「創業50年の技術の継承、日々技術の練磨」とともに、菅公学生服グループ国内18工場(1600人)との「連携なくしてはできない」ノウハウが工場に蓄積されている。
新地工場長は、1学年100人の生徒に対し、学校が指定する制服、すなわち「同じ“顔”の製品を供給することが使命」と述べ、そこが「学生服メーカーと他の一般衣料メーカーとの生産で違う点」と指摘する。生産性はもちろん「どの従業員が作っても、同じ顔の製品になる」ことも工場として「追求し続けなければならない課題」であり、「これからも自動化による“脱技能”を進めながら、品質の安定にしっかりと努めていきたい」と力強く話す。
大山工場/感動させる緻密な工程
米子工場グループに属する菅公アパレル大山工場(鳥取県大山町)は、昨年8月から操業を開始した新しい工場だ。詰め襟服を中心に、年間9万着を生産する。設備はミシン120~130台、プレス機(仕上げ・アイロン)60台、CAM2台、延反機2台、スポンジングマシン1台がそろい、詰め襟服だけでなく重衣料全般を生産できる。
稼働当初、縫製経験者でない人も多く雇用したが、繁忙期である入学シーズンをひとまず乗り越えたことで、八木憲一郎課長は「順調に生産を軌道に乗せつつある」と笑顔で話す。人員は大山町の支援もあって、稼働時の70人から現在105人となり、今後も10~20人増やす予定だ。
先日、ある販売代理店の店長が繁忙期に店を手伝ってもらっているアルバイト7人を引き連れ、大山工場の見学にやってきた。後日、その店長から、アルバイトたちが「自分たちの販売しているものが、こんな緻密な工程で作られていることを知り感動していた」と、お礼の手紙が来た。「これからも良いモノ作りに励んでください。私たちは一生懸命販売させて頂きます」との言葉も添えて。八木課長は、その言葉を胸に刻みながら「これからも品質を第一に、しっかりとしたモノ作りに励んでいきたい」と述べた。
“名工”たちの手で作られてきた制服
米子工場には、ほぼ設立当時の50年前から同工場で働く吉良美子さん(67歳)がいる。吉良さんは、カッターシャツやブラウス製造の全工程を熟知した技術者で、指導者としても卓越した能力を発揮、その活躍を認められ、2008年に「卓越した技能者(現代の名工)」、11年に秋の黄綬褒章を受章し、まさに縫製界でも伝説的な存在だ。「受章できたのも工場の皆さんがいたからで、たまたま代表してお受けしただけ」と、決して飾らない人柄は、菅公学生服の社風そのものでもある。
「私の役割は次世代への技術の継承であり、それができなければ私の価値はない」と言い切る。そして「まだまだ私自身も成長していきたい」と、年齢を感じさせない気力の若さで、これからも若手の指導に全力を注ぐ。
そんな吉良さんの後継者として、昨年、厚生労働省「ものづくりマイスター」に米子工場の川見伸子さん(54歳)、「鳥取県高度熟練技能者(とっとりマイスター)」に大山工場の新田みどりさん(59歳)が認定された。
「みんなで工夫や知恵を出し合いながら、製品化されていく過程が楽しい。作り手の想いが生徒さんにも届くようなモノ作りをしていきたい」(川見さん)、「大山と言えばカンコー、カンコーと言えば大山と言われるよう、知名度の向上に貢献していきたい」(新田さん)と、日々工場の進化を目指し、後継の育成に努める。
そういった名工たちの手で作られている制服。一着一着に「制服とともに過ごす学校生活で、良い思い出を作ってほしい」(吉良さん)との願いを込めながら、多くの生徒が期待に胸躍らせ袖を通すであろう制服をきょうも作り続ける。