商社アパレルビジネス・機能分社、その後

2001年08月07日 (火曜日)

●一層の専門化、小回り、ソフト提案

 大手商社繊維部門がタテの総合力発揮、タテの一貫取り組みを旗印に掲げている。アパレル、小売りが企画・販売に集中する傾向が強まるのに伴い、素材提案から製品化まで商社には多岐にわたる機能が求められてくる。タテの力がなければそれらの要求にこたえることはできず、そこで機能分社というコンセプトが立ち上がる。小回りを利かし、専門性を生かし、一貫体制の一翼を担う。機能分社のその後を追った。

●求められる多機能、専門性

 商社が本体機能を分離して子会社化する背景には繊維の国内マーケットが飽和状態にある中で、人材をより一層専門化し、各商品分野で特化した強みを発揮していこうとの狙いがある。同時に、本体の高コスト構造を是正し、適正コストで適正な人材を活用していくことは連結経営時代の時流にもかなっている。

 その一方で、製品分野に限ると、アパレル、小売りの視線が売り場を向き、企画・販売に集中する志向が強まってきた。新業態の専門店チェーンの台頭などとも合わせ、商社が生産・物流など後方支援業務を担うほか、時には企画提案などへの要求も受けるようになった。市場が膨らまない中で、これらの多岐にわたる機能を担うとなると、個々の機能で専門性発揮への要請がますます強まる。小回りが利き、きめ細やかな情報収集に長け、総合力の一端を担える専門集団が必要となってきたわけだ。

 〝グローバル・ニッチ・トップ〟は母艦では果たせない。直接小売りとのアクセスが少ない本体では精度の高い需要予測は難しい。きめ細やかな情報収集とそれによるソフト提案は抱えた生産基盤を提案するところの前段階にある。2週間の納期に対応するための人海戦術は、人件費のかかる総合商社には非合理的なのである。

●ニチメンパルテックス/差ではなく違いで勝負

 ニチメンパルテックスは、99年10月にニチメン・繊維カンパニーの事業会社として発足した。綿糸布販売のニチメン繊維工業、寝装品・家具販売のニチメンリビング、不織布ほか産業資材販売のニチメン繊維資材の3社が合併したもの。繊維は成熟マーケットと判断したカンパニー方針に沿い、各分野でより現場に密着した専門化集団を形成し、いわば〝プロの強み〟を発揮していくことに狙いがあった。

 これまで繊維カンパニーは同社へ順次商権を移管してきた。同社は00年4月に化合繊原料貿易、産業資材、寝装1次問屋向け素材・製品、特需ユニフォームを引き受け、今年4月にはさらに輸入綿布、織物輸出、寝装羽毛原料の商権を担うこととなった。「分野に応じたコストと人材」(後藤政郎社長)はもっとも合理的な形といえる。

 後藤社長は、「〝ニチメンパルテックス〟というコーポレートブランドを創造する」と、固い意思を込めて語る。中長期的に安定的な商売を行うために、「信頼度、サービス、物流、生産拠点などあらゆる手段を組み合わせ、それらを駆使した包括的なバリューチェーンという仕組みを作り上げる」という。競争が激化の一途をたどるならば「差ではなく違いで勝負する」との考えに立つ。

 そのための事業投資・合弁・企業買収・業務提携などを積極的に展開する構えで、今期中は寝装品、合繊織布、産業資材の分野で3億~4億円規模の投資案件も具体化させる。情報技術(IT)を絡めて物流を効率化するとともに、素材から製品まで同分野で一貫生産体制を構築する計画だ。

 工場立ち上げ時には技術者を派遣するほか、海外店のスタッフを張り付けるなど拠点の確立に抜け目はない。寝装品、輸入家具、インテリアは大手専業問屋が主な売り先となるが、「彼らの希望にこたえるモノ作り機能、技術力はある」と自負する。彼らが自社のブランド力維持・発展に傾注できるような受け皿体制に加え、今後さらに各顧客のテーストに合った提案を志向する。

 海外事業戦略は、日本を含むアジアの繊維製品・産業用資材など付加価値の高い商材に絞り、欧米市場を開拓する「グローバル・ニッチ・トップ」を目指す。現状、アクリルわた、ベンベルグ、アセテート、不織布用リヨセルなど化合繊原料の輸出入が好調に推移している。同社はリヨセル原着糸の国内独占輸入販売権を保有するといった強みもある。

 商権移管もあり、今期見通しは、売上高735億円(前期444億円)、営業利益12億円(同9億4100万円)。タテの総合力を発揮できる独自色の強い専門商社を目指す。

●ファッションネット/需要予測商品企画でビジネスモデル構築へ

 住金物産が昨年4月にアパレル機能を分社化したファッションネット(東京都港区、国嶋信裕社長=住金物産取締役)は、アパレル、小売りを対象にOEMを行っている。1年余りを経た現在の顧客は18社。社名は伏せるが、大手アパレルとSPA系ブランドの勝ち組の名前が並ぶ。

 単なるOEM事業ではない。国内外に構築された住金物産グループの生産ネットワークを背景に、素材・デザイン画の提案からブランドプロデュースまでの企画提案型だ。そして他社にない大きな特徴として、世界のコレクション情報と国内の定点観測に基づく「需要予測商品による提案」が挙げられる。

 同社のショールームには、半年先のトレンドを予測した最終商品のサンプルが並ぶ。アパレル経験者を集めた6人の企画チームが「アパレルと同じ視点で」企画した商品だ。織物が7~8割を占め、残りがカットソー。来春夏物からは雑貨が加わる。ニットは住金物産本体で手がけており、年二回の合同展も開かれる。

 「需要予測に基づく企画提案」は、商社にとって新しいビジネスへの挑戦だ。国嶋社長は「安く、早く、言われた通りの物を作るだけの機能では、21世紀(の商社ビジネス)は難しいと強く感じた」からだという。「国内外の情報収集とサンプル作りにはカネがかかる。しかし他社にはないソフト面の提案を伴わせないと存在価値を失う」。

 しかしその業務は、アパレルのアウトソーサー(受け皿)ではなく、コラボレーションを基本としている。提案された需要予測サンプルは、アパレルとの話し合いの中で修正され、店頭に並ぶことになる。

 国嶋社長は、店頭ロスと在庫削減に寄与する「需要予測の精度向上」が課題と認識する。そのためにモニタリングで予測商品の評価も行っている。今後はインターネットを活用した、ターゲットフォーカスのモニタリングも加えていく。

 顧客は海外にも広がる。「韓国、中国、香港は日本で売れたファッションの情報をリアルタイムで欲しがっている」からだ。現在は韓国のアパレルメーカーと商談が進行中。ホームページをアジア各国語に対応させ、会員制で情報提供する試みにも取り組む。

 「物流機能とソフト提案が両立した新しいビジネスモデルの確立」が国嶋社長の目標。「商品のターゲットはレディースのキャリアに特化していく。5年後くらいには直営ショップも展開できれば」と話している。

●「トリ・フォーレ」「エム・シー・ファッション」/生産管理と営業事務を分社

 三菱商事は、アパレル部の生産管理機能補完会社「トリ・フォーレ」と営業事務補完会社「エム・シー・ファッション」を有する。両社の社長を兼務する村上一弘社長は、「商社の機能分社は今後も重要度が高まる」とし、業容は拡大する一方だ。

 「トリ・フォーレ」は91年5月に設立され、93年に三菱商事の全額子会社となった。99年4月に三菱商事アパレル部は、SPAなど新業態向けを担当するスタッフを、周辺にアパレル企業が集まるJR恵比須駅ビルに移し、恵比寿分室を設置した。同時にアパレル部の機能補完子会社でモノ作りに関するスタッフを集めていた「トリ・フォーレ」も同分室に集結。本社と子会社が役割分担しながら、一体となって活動した。

 その後、手狭となったため、「トリ・フォーレ」は昨年10月に道路を挟んだヒューマックス恵比寿ビルに移ったが、「海外を中心とした生産管理という役割は変わらず。最近は企画も一部手伝う」と業務が広がり、今年も「前年比20%増に」仕事が増えている。年間で530億円(下代ベース)規模を扱う。

 素材調達から縫製、検品、輸入、倉庫入れまでを管理するため、陣容は大阪が25人、東京が125人の体制。「月に70~80回は中国を中心に出張している」。顧客はSPAが7割。納期は3~4週間だが、中には2週間というケースもある。この納期が最優先されるため、人海戦術になることも多い。コスト、専門性、小回り、ノウハウの蓄積といった観点でも、商社本体よりも機能分社化した方が有利だ。

 また、本社だけでなく、上海、香港、ベトナムのトレディアファッションが生産フォロー機能を持ち、連携する。インターネットを使って情報交換するほか、新しい生産の場作りでもタイアップする。

 スタッフはデザイナー、パタンナー、素材や縫製の分かる人間などさまざま。それだけに「今年は客観的な業績評価システムの構築」を課題とする。

 「エム・シー・ファッション」は昨年9月に設立。東西で22人である。三菱商事の受渡し、営業補佐など営業事務をサポートする役割。「事務作業も派遣社員ではノウハウの蓄積ができない。1から育てる意味もあり、新卒者も採用している」。商社の高コスト体質の是正にもつながった。

●丸紅ファッションプランニング/商品政策のソフト提案

 丸紅繊維部門は〝タテのプラットホーム構築〟を大方針に掲げる。その方針に沿い、素材から製品まで一貫のパッケージ提案を行うために、丸紅ファッションプランニング(MFP)は「個々の案件での商品政策のソフト面での提案機能を発揮する」(今井重和社長)。丸紅繊維亜州、丸紅繊維流通センター、IT推進チーム、パスポートファッションなどの事業会社と同様、プラットホームの一翼を担う立場にある。

 同社は社員24人、企画営業、管理、技術の3部で構成する。中でも企画営業部は同社の機能の中心である「商品政策のソフト提案」の中核を担う。

 現在、商社に求められる機能は企画提案力。一口に〝企画提案〟と言うが、それはでき上がる製品の色・柄・素材・デザインという商品分野と、情報技術(IT)、物流技術(LT)、金融技術(FT)などを駆使する方法など商流分野に別れる。MFPは顧客に対し前者でのコンサルティングとマーケティングを担うと同時に、繊維部門各営業部につなぐ役割を果たす。

 もう少し具体的に言えば、外部の個人、アトリエ、企業など90数社に上る「ソフトバックアップチーム」を活用して、市場調査、デザイニング、リテールマーケティングを行い、顧客に対し新ビジネス、新商品開発に関する助言を与える。

 例えば、売り上げが伸び悩んでいるベビー服製造アパレルに、トドラー分野の開拓を進言するなどである。消費者座談会やこの分野での顧客のモニタリング、市場動向調査などを綿密に行う。そのうえで、ターゲットの年齢層と商品テーストを絞り込み、素材、デザイニングの提案を営業部と一体となって進める。さらに、VMD、店舗運営などの提案も加わるなど、その機能は多岐にわたる。ソフトバックアップチームを今後さらに豊富にし、効果的に活用していくことで情報収集力と提案力を強める考えだ。

 これらの提案が顧客の意向に沿えば、繊維部門が誇る海外ネットワークと生産基盤を活用し、一層のメリットを付加することができる。「契約主体はあくまで営業部であり、MFPは裏方」。とはいえ、スタイリングのディレクションという重要な任務を受け持っている。

 自らのソフトと外部の力を最大活用したソフトを合わせ、繊維部門に情報を反映させることでパッケージ提案の入り口に顧客を呼び込む。繊維部門が掲げる消費市場への極大化の一端がここにある。

●眠れる獅子、東京で起つ/伊藤忠商事 執行役員・植田 紘氏

 入社以来、東京勤務は初めて。伊藤忠では長く織物貿易に携わりニューヨーク、モントリオールに通算3回・15年駐在した。

 仕事の課題は「総合力の強化」と明快。タテ割りの色合いが強い繊維カンパニーで、繊維の横綱・伊藤忠の東京対策に横串を差すと同時に、グループ経営の強化に向け事業会社を含めた総合力発揮に取り組む。

 4月の着任以来、毎月1回、東京在籍の課長を集めたヨコの連絡会「課長会」を主宰する。東京本社はアパレルOEM(相手先ブランドによる生産)、ブランド・ライセンス、ユニフォーム、リビング、産業資材などの課がそれぞれ独自の方針を持ちながら活動する。それぞれの課は大阪本社の事業部に所属し、ヨコのつながりは希薄だ。

 「悪く言えば各課はそれぞれ自分の守備範囲の中で利益を追求し、その網に漏れた『宝』を見逃しているのではないか」。それが課長会発足のきっかけだ。各課には多くのプロがいるが、「プロ度を上げるだけで飛躍できる時代ではない」との思いが強い。強烈なタテ割り組織にヨコ串を差し、埋もれている宝を掘り起こす。その情報交換に課長会の大半の時間を費やす。

 繊維カンパニーにおける東京本社のウエートは高い。売上高、利益ともに大阪本社と拮抗するところまできた。大阪在籍の課が東京で稼ぐケースも多い。繊維のマーケットを見た場合、今後さらに比重が大きくなるのは必至だ。また、事業会社は繊維カンパニー内で存在感を高めつつある。その束ね役として任務は重い。

 が、植田さんにそうした気負いは感じられない。もって生まれた茫洋とした雰囲気がそれを消している。生まれは高知県宇佐市。山と海に囲まれ、山に入っては木の実や野草を、海に潜っては魚や貝を採り、「縄文式生活にも耐え得る生活を送った」ことがその性格を形作ったように見える。

 社内外で『ライオン植田』の愛称で通る。ぺーぺー時代、会議でよく舟をこいだ。それを当時の課長に『眠れる獅子』とからかわれ、そして野性味たっぷりの風貌とあいまってライオン植田へと転じた。

 商社はその持つ機能が問われている。〝中抜き〟という言葉が一般化するなど存在感もひところに比べ弱まった。「今後生き残るためには世間に認められる機能を備えるしかない」と植田さん。『眠れる獅子』東京で起つ。(川)