ズームイン/大垣扶桑紡績の社長に就いた小林 弘明 氏/分かってもらうため話す
2017年07月31日 (月曜日)
明るく、そしてよく話す。「初対面の人には自分の素を分かってほしいから」だと言う。身に付けたのは、初の海外赴任となった東レのタイ子会社、ラッキーテックス〈タイランド〉(LTX)が「キッカケかも」。タイ人に分かってもらうために、「まずは思ったことを言おう」と考えた。
東レ入社後は長繊維の婦人服地を10年担当し、そうそうたるメンバーの中でしごかれた。その後短繊維織物に移り、東西国内市場に加え、異例ながら輸出も兼任した。「体力に自信があったのでこなすことができた」と振り返る。
2002年にLTXの営業部長として初の海外赴任。ポリエステル綿混織物を世界に売り歩いた。特に、蝶理と組んで中東民族衣装輸出を立ち上げ、今の基礎を築く。「全く新しい場所で自分を試すことができ、商売の醍醐味を実感した。パートナーにも恵まれて、大きな仕事をすることができた」ことが最も印象に残る。大きな仕事は帰国した07年からも任される。
前年、東レはユニクロと戦略的パートナーシップを結ぶ。その関係でユニクロ出向者の1人に小林氏が選ばれた。2年後東レに戻るが、そこはユニクロ担当のGO推進室。計4年間、ユニクロとのビジネスに関わった。ちょうど、チャイナ・プラス・ワンが活発化した時期。東南アジアの生産拠点と縫製を結び付ける仕事に邁進(まいしん)した。
その後に予想外の辞令が来る。今度はインドネシア子会社センチュリー・テキスタイル・インダストリー(CENTEX)への赴任だ。しかも社長。「まさかと思った」というインドネシアでは6年間を過ごした。
タイ赴任から数えて15年。「ほとんど大阪の自宅にはいなかった」と言う小林氏。今回、大垣扶桑紡績の社長に就いたため、まだしばらくは単身赴任の生活が続きそうだ。ただ、新入社員研修が東レの岐阜工場であり、大垣市は見知った土地。「振り出しに戻った」と感慨深い。短繊維織物担当時は旧大垣紡績でモノ作りをしただけに、違和感もない。
大垣扶桑紡績は合併して14年だが、創業からは70年近い歴史がある。「地場に根差し、地元が誇れる会社を目指す。そのためにも今までの経験、知識を生かしたい」と抱負を語る。まずは社内の声掛けからスタートした。そして「私が言ったことが良いと思えば実践してもらえればよい。悪いと思えば反論してもらって構わない」と懐の深さもある。これも海外や社内外で培った経験か。(貴)
こばやし・こうめい 1984年神戸大・経営卒、東レ入社、2001年婦人・紳士衣料事業部短繊維織物課長、02年LTX営業部長、07年ユニクロ出向、09年GO推進室、11年CENTEX社長。17年6月22日付で大垣扶桑紡績社長に就任。神戸市出身。56歳。学生時代に友人3人とユーラシア大陸を40日かけて1周したほどの旅好き。今は山歩きと街の散策ぐらいだが、目先はインドネシア駐在で増えた体重を落とすのが目標。