ズームイン/東レ・モノフィラメント社長に就いた/米村 伸哉 氏/厳しい事業で「最善手」打つ
2017年08月03日 (木曜日)
「異動の際は厳しい事業を希望する。楽に流れてしまわないように」と言う。穏やかな話し方ながら、時折挟んでくる厳しい一言から、強さを感じさせる米村氏。「3段は取ったはず」という腕前の将棋のように、厳しい状況下で「最善手」を打ち、克服することに喜びを感じる猛者。自らを「仕事請負人」とも評する。
大学では機械工学を専攻。最初の配属先は東レ滋賀事業場(大津市)の繊維技術部装置グループ。人工スエード「エクセーヌ」(現「ウルトラスエード」)、ポリエステルスパンボンド不織布(SB)「アクスター」を主に担当する。その後、本社、滋賀事業場と拠点は変わるが、工務畑を歩み、さまざまな繊維関連の設備設計に携わった。
特に思い出深いのはアクスター。従来の円形ではなく、矩形(くけい)紡糸を2年かけて独自開発したことと言う。矩形は過去2度の失敗があったそうで「投資額がかさむため、反対も多かった」が、課題を克服。社内を説得し、新設備を作り上げた。
技術的な詳細は避けるが、高目付品が大半だったアクスターが逆浸透膜の支持体向けなど低目付品を生産できるようになったのは、口金、エジェクター(引き取り装置)から新設計による同設備があったからこそ。
アクスターでは主力中の主力であるカートリッジフィルター向け新商品を作り上げ、他社との競合に打ち勝ったことも印象に残るという。米村氏は当時、不織布技術課長(初代)。主要顧客を奪われるかどうかの瀬戸際であり、アクスター存亡の危機を食い止めたとも言える。
2006年に愛媛工場のプリプレグ製造部長に異動し、繊維から炭素繊維複合材料に移る。ちょうどボーイング787向けの供給が始まった時期。急拡大する需要に追い付かず、新入社員も多い中で教育も並行して行いながら増産に奮闘した。その後も生産技術第3部長として計5年、炭素繊維複合材料に携わった後、12年からの5年間は愛媛工場長を務めた。
そして、今年4月に東レ・モノフィラメントへ。6月20日付で社長に就いた。同社は現状、厳しい状況下にあるわけではない。しかし、将来を見据えて「やるべきことは数多くある」と強調。「最善手」は既に決まっている。(貴)
よねむら・しんや 1982年九工大大学院機械科修士課程修了、東レ入社。2004年滋賀事業場繊維製造部長、07年愛媛工場プリプレグ製造部長、10年生産技術第3部長、12年愛媛工場、17年4月東レ・モノフィラメント専務、17年6月20日付で社長に就任。熊本県出身。59歳。単身赴任11年目となるが、2カ月に1度は夫婦で旅行。愛知県は名古屋を基点にアクセスも良く。奥さんには喜ばれているとか。