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時の階 業界はどう続いてきたか(1)/繊維 戦後復興に力/朝鮮特需も操短の歴史

2018年04月02日 (月曜日)

 朝鮮半島情勢が大きく変わろうとしている。朝鮮戦争勃発から今年で68年。4月の南北、5月にも予定される米朝両首脳会談は、東アジアをはじめとした世界の政治・経済にも大きな影響を与えそうだが、68年前のこの不幸な出来事が日本の戦後繊維産業復興のきっかけとなったことは否定できない。

 朝鮮戦争は1950年6月25日の北朝鮮軍の不意の南下、その数日後のソウル占領から本格化することになる。本紙の前身である『繊研相場速報』は6月27日付で、スフ糸相場の高騰を伝え、戦争勃発が「インフレを惹起」と報じた。30日付では人絹糸、スフ織物が「戦況反映で一斉急騰」と報道、この朝鮮特需が契機となって繊維の“ガチャマン景気”をあおることになる。

 戦後復興の礎となった繊維産業は、幾度の好不況を繰り返してきた。日本紡績協会がまとめた『紡協百年史』によれば、紡織産業の歴史は不況と操短、設備廃棄に明け暮れる。特需に沸いた反動は52年に早くも現れる。52年3月から53年5月までの15カ月間にわたった「第1次勧告操短」がその皮切りだ。

 戦後400万錘に制限されていた紡績錘数は、朝鮮戦争勃発とほぼ時を同じくして撤廃され、東洋紡などいわゆる“十大紡”やそれに次ぐ“新紡”25社の35社・390万錘だった業界に新規参入(“新々紡”)が相次いだ。その結果、52年末には122社・750万錘に達する。このことが勧告操短につながっていく。

 その後も勧告操短、不況カルテルが数年置きに繰り返され、81年の不況カルテルをもって、その後は“自主減産”という形に落ち着く。「紡績の歴史は操短の歴史」と言われるのは、こうした事情による。

 当時、政府が業界の要請に応じて、設備の近代化、合理化などいわゆる“構造改革”に費やした額は6千億円以上とされる。56年「繊維工業設備臨時措置法」(繊維旧法)に始まり、64年には「繊維工業設備等臨時措置法」(繊維新法)、67年、76年には「特定繊維工業構造改善臨時措置法」が成立、中小・零細企業を主対象に過剰設備の処理、設備近代化、転廃業の促進を軸に政策を進めた。

 紡績錘数を例にとると、65年に1200万錘を数えたが、2015年に100万錘を切り、さらに漸減傾向にある。あまりの落差ではあるが、産業革命によって英国ランカシャーがインドの綿紡織を追いやり、そのランカシャーも日本によってその地位を追われる。歴史は繰り返すと言うほかない。

 50年4月27日、本紙は創刊第1号を発行、産声を上げた。今年6月8日には通算2万号を迎える。68年の繊維の歴史の時々を振り返る。