検査機関設立70周年記念特集/産業の変化に応じた歴史

2018年04月10日 (火曜日)

 繊維関連の6検査機関は今年70周年を迎える。いずれも輸出品の検査を目的に1948年に設立された。しかし、繊維産業はその後、過剰生産と構造改善、輸出から内需への転換、差別化素材の開発、生産の中国、さらに東南アジアシフトといった道を進む。検査機関もこの後を追い続けてきた。

●輸出検査法施行へ

 第2次世界大戦後の日本では、「通商の振興なしに経済の自立はない」と言われていた。戦前の「安かろう悪かろう」の悪名を払拭(ふっしょく)し、「良質廉価」の輸出品が求められた。しかし、当時は品質不良の商品も多く、1948年に輸出品の声価向上と品質改善、不良品輸出防止を目的に、「輸出品取締法」が制定された。当時の輸出クレームでは、繊維や雑貨が上位を占めていた。繊維の検査機関が設立されたのは、まさにこの年。6検査機関は輸出品取締法に基づく登録機関となっていった。

 1950年に朝鮮戦争が勃発。日本経済にとって神風となり、東南アジアから綿織物の発注が殺到した。51年6月になると休戦機運が出て、綿糸布市況は暴落、東南アジアからは大量のキャンセルが出た。52年3月には綿紡績の4割操短が始まり、同年3月には綿織物も「全国綿スフ織物工業危機突破大会」が開かれ、54年には設備登録制がスタートすることになる。

 こうした業界の変化の中で、この輸出品取締法は「自己責任」を原則とする制度ゆえに、効果が出なかった。54年下半期から米国向けの綿織物、綿2次製品輸出が急増し、日米貿易摩擦の発端となる「ワンダラーブラウス」と呼ばれる事態となった(57年1月に日米綿製品協定締結)。再び粗悪品がクローズアップされる。このため、輸出品取締法に代わって、57年に「輸出検査法」が定められた。これまでの任意検査制度を原則廃止、検査基準を強化し、検査機関の資格も厳しくした。6検査機関は輸出検査法の指定検査機関となる。

●内需シフト、新試験も

 輸出検査法は歴史的役割を終えて97年に廃止されるが、綿織物輸出は60年代後半から減退基調に転じていた。米国の輸入課徴金制度導入や発展途上国からの輸入増。72年の日米繊維協定調印、73年の石油ショックと、繊維産業の輸出競争力は弱まっていく。テキスタイルメーカーは輸出から内需へとシフトし、検査機関も輸出検査が業務の柱ではなくなった。73年にホルマリン規制が始まる。

 85年のプラザ合意による円高は、糸やテキスタイルだけでなく、2次製品輸入にも拍車を掛けた。検査機関も輸入品、特に2次製品の評価技術を充実させていった。

 繊維評価技術協議会の「SEKマーク(抗菌防臭加工)」の認証が開始されたのは89年。この頃から市場では清潔加工、さらに機能性試験へのニーズが高まっていく。こうした機能性に対する性能評価は、制菌、消臭、紫外線ケア、吸水速乾などさまざまな分野にも広がり、最近では安全・安心の特定芳香族アミンといった化学分析試験にまで及ぶ。

●94年から中国戦略へ

 日中の国交回復は72年。その中国が鄧小平の「南巡講和」で市場経済を加速したのが92年だ。90年代は繊維企業の中国進出が加速した。カケンの上海科懇検験服務(94年)を皮切りに、検査機関の中国拠点開設の動きが活発化した。

 拠点も上海から天津、大連、青島、常州、南通、寧波、深¥文字(U+5733)など中国各地に拡大していく。試験だけでなく、検品業務も行い、衣料だけでなく雑貨も対象にする。縫製工場の中国シフトに合わせ、対象商品も広げていった。

 最近では試験設備を設けず、営業拠点のみを置いたり、現地法人化する動きもみられる。より迅速な対応が求められているためだ。

●東南アジアシフトにも

 その中国も2010年前後から人件費の高騰、人手不足という課題が表面化してくる。その一方で、日本市場は衣料デフレが続いており、値上げが難しかった。むしろ市場は消費者の節約志向もあって、より価格対応を求めた。このため、「より人件費の安い国へ」と、バングラデシュのほか、東南アジアへと生産地がシフトされていく。

 QTECは2010年にバングラデッシュにダッカ試験センターを開設。検査機関はインドネシア、タイ、カンボジア、ミャンマー、ベトナムなどに新たな拠点を設ける時代に入った。ニッセンケンは既にインドにも拠点を開設(14年)し、日本企業のインド進出をサポートする業務を開始している。直近では「中国見直し論」も浮上しているが、海外生産対応は今後も続きそうだ。

 併せて中国における内販戦略、外―外貿易も今後の業務として重視される。

 JIS規格だけでなく、GBやISOといった規格に対応した試験設備の充実も図っている。

●新たな船出へ

 11~12年に各検査機関が「一般財団法人」となり、これまで手控えていた営業活動にも力を注ぐようになった。「待ちの姿勢では衰退する」というのが共通認識となり、より営業力を高める組織作りが進んでいる。

 人材育成という面でも、国内だけが対象ではなくなり、海外拠点が増えるほどグローバルな人材が必要になった。既存のルールや考え方にとらわれず、状況に合わせて新たな価値を創造できる人材。内外や社会の変化にアンテナを張り、それを業務に結び付けられる人材をどう育成していくかが、重要になっている。

 既に一般の繊維試験だけでなく、ニーズに応じた機能性試験への対応は不可欠となった。衣料以外の分野として生活用品や産業資材も扱う。カケンが日本文化用品安全試験場と業務提携(16年)したように、異業種分野との提携や連携が今後も広がっていく。海外の検査機関との連携も、化学分析のノウハウ取得などの面でも強化される。

 70周年は、新たな船出への起点でもある。

〈カケン/変化する環境に適応する/人材育成が最も重要〉

 「チャレンジしないことには事業は陳腐化する。変化する環境には適応できるか、死ぬかの道しかない」。カケンテストセンター(カケン)の長尾梅太郎理事長は、厳しい認識を示す。

 改名前の日本化学繊維検査協会時代は、1971年に強制検査中心から依頼試験へと転換した。合繊輸出が急速に落ち込んだことが背景にある。同年には大手量販店の納入前検査制度が発足し、「品質試験受託契約」を締結し、その後も小売業やアパレルからの受託試験業務で生き残りを図った。

 「85年のプラザ合意による輸入品増、92年の中国における鄧小平の南巡講和と生産の海外シフト。過去には時代のテーマが明確にあった」。だが、「今はひとことで言えるようなテーマはない。化学分析、雑貨など試験業務を広げても、そこにはライバルが多数いる。何か一つで解決はできない。やり方を見直して、独自の方法を見いださないと。それでもビジネスのシーズはある」と語る。時代の変化を鋭敏にキャッチする。そのためには、「人材が一番大事」と続けた。

 4月から始まった新年度はビジネスシーズ、市場、顧客、業務方法、人材の五つの開発に力を注ぐ。昨年策定した中期5カ年計画も「毎年、課題を抽出し、評価を行うため、ローリングプランに変更した」。AI(人工知能)を用いた効率向上の研究にも関心を持つ。

〈ボーケン/信頼の試験機関の道歩む/幅広い分野に生かす技術〉

 ボーケン品質評価機構(ボーケン)の堀場勇人理事長は「信頼される試験機関として、業務内容を拡大、進化してきた」と話す。紡績や繊維業界の輸出振興や品質向上を目的にスタートし、現在はインテリア、化粧品、スポーツ、化学分析など幅広い分野に培ってきた技術を生かしている。

 1970年代は輸出から輸入へと業務の転換が迫られた。「1973年にホルマリン規制が始まり、流通業界から安全、衛生を含めた依頼試験が急増」。その後も94年のPL法、2016年の特定芳香族アミンと、この流れは続く。「83年には検査を依頼試験が上回った」ことも一つの転機といえる。

 生産の海外シフトにも対応してきた。89年にSGS香港と業務提携、95年に中国に上海浦東試験センターを開設。02年には常州、青島と中国拠点を拡大。生産の東南アジアシフトに合わせ、12年にSGSインドネシア、13年にはタイ、ベトナムでもSGSと業務提携して顧客ニーズに応える。

 国内でも70年に「ボーケン展示会」を開いた。当時は糸条板で糸の品評を行ったが、現在は製品クレームなども紹介する。

 13年には東京本部ビル内に東京本部、東京事業所を開設。今年5月には大阪本部を移転して機能を強化する。「事業所単位から分野別責任体制にし、これから30年、100年企業になるよう進化を続けていく」

〈QTEC/S計画順調に進む/持続可能性もシーズに〉

 日本繊維製品品質技術センター(QTEC)は3月26日に本部を移転した。奥田利治理事長は「S計画は順調に進んでいる。五つの検査機関が統合した成り立ちから遊休資産が多く、流動資産化により財務の健全化が進んだ。今回の東京地区拠点一本化に伴う本部ビル売却、本部事務所の移転もその一環」と語る。

 東京総合試験センターは2009年に東京地区の産業資材試験センター、生活用品試験センター、分析センター、TFTビル試験センターを統合して開設。今回の拠点統合に伴い1日付で「東部事業所」に名称変更した。

 「70年の歴史で微生物試験や羽毛試験などはQTECの特色になった。グローバルではサステイナビリティー(持続可能性)がキーワードになる。次のシーズに」していく。

 海外事業の体制整備・充実も進める。昨年7月に青島センターを「青島可泰検験」として現地法人化した。8月には南通に現地法人「南通浩達紡織品検測」を新設。これにより中国華東地区で、既存の上海、無錫に加えた地域連携のトライアングルを完成した。

 16年11月にはインド繊維省傘下の繊維委員会と「日本市場向け繊維製品の適合性評価に対応するためのインド製品の品質向上に関する覚書」を結んだ。「インドへの足掛かりとしてコネクションを活用」する。10年開設のバングラデシュのダッカ試験センターも「第2ステージに入った」

〈ニッセンケン/危機感から業務を拡大/総合試験機関を目指す〉

 「1999年に入所したが、当時は原反検査が主体だった。検査機関の営業がはばかられた時代だったが、仕事をただ待つ体質を変えないと、生き残れないという危機感を前理事長(吉田良雄氏)と共有していた」と、ニッセンケン品質評価センター(ニッセンケン)の駒田展大理事長は語る。ニッセンケンが新境地を探っていた時期だ。

 ニッセンケンは2000年に「エコテックス」認証機関として登録。安全・安心、環境問題への対応を始めた。

 01年には海外進出として中国・南通に事業所を開設した。

 「エコテックスを始める当初は、島津製作所などでガスクロマトグラフ質量分析計の使い方から学び、外部の人材も採用した。昨年、エコテックス25周年を日本でも開催。業界の認知も進んだ」と振り返る。南通進出も「当時は上海に4検査機関が出ていた。それなら、これから成長が見込まれる南通に出ようと決めた」。12年には立石ラボで高視認性衣服の試験体制を整え、試験業務を広げた。

 その後も中国、東南アジア、さらにインド、バングラデシュへと拠点を拡大。試験だけでなく、第三者機関としての検品業務も行っている。「JIS試験だけでは先細りする。自前でISOやGBなど、現地向けの試験ができる体制を築いていく。立石ラボは雑貨も強化し、総合検査機関を目指す」

〈ケケン/獣毛、敷物の強み生かす/新規事業も検討する〉

 「尾州のウールをキーワードにした歩みだった」と、ケケン試験認証センター(ケケン)の地﨑修理事長は70年を振り返る。毛製品専門の検査機関として設立されたルーツを強みとして、日本の試験機関で唯一「獣毛総合研究所」を保有する。

 ケケンは1969年にインターウールラボ(国際羊毛繊維試験所協会)に加盟、95年にはCCMI(カシミヤ及びキャメルヘア生産者協会)の認定試験機関となり、カシミヤ鑑定実績を積み重ねてきた。

 2010年にはISO/IECガイド65の認証を取得。カシミヤ製品に対する適正な品質表示を実現するため、カシミヤタグ制度を本格化した。カシミヤ98%以上を超えた場合、タグを付ける。「この得意分野をさらに特化していく」考えだ。

 93年には敷物検査協会と合併し、日本防炎協会の指定検査機関となり、敷物(カーペットなど)検査も行う。現在、関東、中部、関西に事業所を設けるほか、三重支所、中国の天津、上海にも事業所を設置。GB試験も対応する。

 「検査機関と取り巻く事業環境は不透明感が漂い、業界の構造変化は加速する。総花型ビジネスモデルではなく、専門性の高い試験機関」を目指す。

 同時に、「仕事待ちの時代ではない。検査機関のフィルターを通して新規の仕掛けができないか」。昨年は化学研究評価機構と業務提携した。

〈メンケン/業務、財務基盤を強化/カンボジアにも開設〉

 メンケン品質検査協会(メンケン)は「今後も業務基盤、財務基盤を確固たるものにしていく」(丹沢嘉夫理事長)考えだ。「小さいながらもメンケンが抜群の存在感となるのが目標」と言う。

 1948年に綿スフ織物検査協会として設立。58年に綿スフ織物などの指定検査機関となった。92年に国際協力機構(JICA)のパラグアイ技術協力プロジェクトを受託、以後、スリランカ、タイで技術協力を行った。

 2001年の上海試験センター、11年の青島試験センターに続き、昨年、カンボジア試験センターを開設。国内の東京試験センター、大阪試験センター、兵庫試験センターと連携し、グローバル化を加速中という。

 カンボジアでは、ベトナム国境に近いバベットで、製品の外観検査、耐洗濯性試験、遊離ホルムアルデヒド試験、環境ホルマリン測定などを実施中。生地試験も計画している。

 一方、兵庫、三河、福田の各検査所では、検反業務を行う。兵庫では、播州織生地の整理加工前検査として、めくり検査の伝統が残り、播州織の品質向上に貢献している。

 三河では、産業用資材などの検反が増え、欠点に対する予防・対応策のアドバイスや修整を行っている。

 福田は、別珍・コール天の検反ができる日本唯一の公的検査機関として、産地を支えている。