繊維街道 私の道中記/明石スクールユニフォームカンパニー 社長 河合 秀文 氏(3)/鍛えられたモノ作り

2018年04月11日 (水曜日)

 80年代前半まで、女子服の注文をもらってきても「面倒くさいものを取ってくるな」と逆に怒られていた時代でした。ところが詰め襟服が売れなくなってくると、女子服もやらなければいけない。

 当時は同業他社も同じような状況で、既に吉善商会(東京都中央区)が花井幸子さん、瀧本(大阪府東大阪市)がコシノヒロコさんといったファッションデザイナーと契約し、デザイナーズの制服を立ち上げていました。当社でもやらなければいけないという雰囲気がありました。

 全く自信はなかったのですが、思い切ってトップデザイナーの森英恵さんに打診したところ、トントン拍子に合意に至り契約することができました。

 1986年に明石被服興業は『制服革命』を自社刊行した。学生服の歴史をまとめ、これからの制服を解説する中で、「SI(スクールアイデンティティー)」というコンセプトが提唱された。学校の教育理念や個性を明確にすることで、生徒を活気付け、さらに学校の伝統や校風の活性化を目的にしたものだ。その効果的な手段の一つが「VI(ビジュアルイメージ)」である“学校服”の導入だった。88年、明石被服興業は森英恵と提携、「ハナエモリ スクールジェンヌ」を発表した。

 「ハナエモリ スクールジェンヌ」は、これまでの単一の学生服ではなく、「集団美」を追求した“学校服”という新たな概念を作り、当社のモノ作りの姿勢を大きく変えました。

 当社はパターンを起こしてから制服を作るやり方でしたが、森先生はデザイン画から製品を具現化し、微調整しながらパターンに落とし込むという方法でした。デザイナーはそのようなやり方が当たり前なのかもしれません。

 出来上がった制服サンプルを森先生に見てもらいましたが、返却されてきたものを見ると、百カ所近くに針が付けられて修正されており、これはモノ作りの考え方が根本的に違うと思いました。

 当社の作り方とのあまりの差異に先方と意見がかみあわず、最初の発表会までに間に合わないかもしれないと大変苦労しましたが、お互いの信頼関係が構築されてからはスムーズに商品開発が進むようになりました。当社にとってもとても良い勉強になりました。森先生には感謝の言葉しかありません。

 ハナエモリ スクールジェンヌは一時期、売り上げが30億円にもなった。しかし、明石被服興業の売上高は90年が160億円、97年にはワークウエア子会社の日邦産業を吸収合併するなど、事業規模を拡大したにもかかわらず、2004年が180億円とあまり伸びていない。学校獲得は進んだが、バブル後の市場低迷期でもあり、他部門の売上高が停滞した。生産面でも多品種小ロット化に苦しんだ。この間に衣料品の海外生産が拡大し、低価格化も進み、まさにデフレとの戦いでもあった。

(文中敬称略)