明日へ これが我が社の生きる道 縫製編(6)

2021年04月09日 (金曜日)

モノ作りは楽しくなる  丸和繊維工業

 数量ではなく、質を追求している縫製会社が存在する。東京都墨田区の丸和繊維工業だ。深澤隆夫社長(60)は「量を求めると加工料金が下がり、従業員の給与に響く」とし、営業担当者には「仲間の給与を下げる仕事は取らなくていい」と伝えている。縫製工場が国内で存続するための一つの形と言える。

 創業は1956年(58年設立)。深澤社長の父・和章氏が当時勤めていた繊維企業から独立し、個人で立ち上げた。当初は肌着の編み立てを行い、協力工場を使って縫製を行っていた。70年代前半に自社縫製工場を作り、生産アイテムも肌着からアウターへ徐々に変化していく。

 高品質・高感度のモノ作りが評価され、大手アパレル企業の仕事が増える。アパレル企業の成長と合わせるかのように同社も業容を拡大し、90年ごろに最盛期を迎える。東京本社の工場に加え、茨城県に2工場、福島県に1工場を持つに至る。協力工場も活用していた。

 深澤社長は大学卒業後に総合商社に入社。織物の輸出部隊に配属されて中近東向けを担当した。サウジアラビアに2年半駐在した経験も持つ。日本に戻ってからはニット製品の販売を行い、輸入品も扱った。「父は輸入品と“戦う”立場だったので、その頃はあまり会話をしていなかった」と笑う。

 丸和繊維工業に入ったのは30歳の時。和章氏が入院したのがきっかけだった。「自分が入社してからは会社も繊維業界も右肩下がり」で、さまざまな手を打たなければならなかった。90年代の終わり頃に開かれたある勉強会で講師に「下請けではなく、縫製企業にも自立がいる」と言われたのが発奮材料になった。

 有志で勉強会を立ち上げ、自社ブランドを作り、展示会や販売会を開いた。自社ブランドは失敗もしたが、諦めなかった。今では紳士ニットドレスシャツを中心商品とする「インダスタイル トウキョウ」の販売が堅調に推移しており、東京本社には直営店も構える。「3度目の挑戦」だった。

 この間、インドネシアや中国にも進出した。現在は海外生産からは撤退し、国内の製造拠点も青森工場(青森市)と白河工場(福島県白河市)に集約した。指向したのは量から質への転換だった。そのベースは小ロットにあり、小ロット対応のための投資も積極的に行った。

 「課題はまだまだたくさんある」と深澤社長。デジタル化の進展で「アパレルに全く関係のない人でも衣料品を作り、販売できる時代になった。新しい可能性が出てくる」とし、「モノ作りはこれからもっと楽しくなる」と前向きだ。

(毎週金曜日に掲載)

社名:丸和繊維工業株式会社

本社:東京都墨田区亀沢

   1丁目8番6号

代表者:深澤 隆夫

主要生産品目:紳士服、婦人服、スポーツウエア(丸編み地)

従業員:東京本社40人、青森工場100人、白河工場30人、物流センター6人