繊維街道 立志編 〈杉岡織布社長  杉岡定弘 氏〉中

2021年09月15日 (水曜日)

中伝毛織で武者修行

 杉岡が家業の継承を意識し始めたのは高校生の頃。大学に行けるぐらいの成績はあったが、優良ではなかった。酔った父から「もっと勉強せえ!」と怒鳴られたこともあった。

 中学はバスケットボール部、高校は空手部に所属し、一度も休むことなく熱心に励みました。一方、当時はお笑い番組をよく見ていて、自分はお笑い芸人に向いているなとも考えていました。家業を継いでもどうせ父親にはかなわないとも考えていました。

 杉岡織布が発展していったのはこの頃です。レピア織機を全台エアジェット織機に入れ替えたのもこの頃。父は仕事に明け暮れていました。そんな父を横目で見ているうちに、この人にはかなわないな……という感情が生まれるようになりました。ただ、「継いでくれるんやろ?」という無言のプレッシャーは常に感じていましたね。姉や弟という選択肢は父にはなかったようです。

  お笑い番組と部活にいそしみ、無言のプレッシャーを受けつつ、杉岡は現役で大学に合格する。

 経済学部だったので経済についてけっこう真面目に勉強しました。ただ、何に熱中するわけでもなく、バイトに精を出すわけでもなく、仕送りをもらいながらフラフラ過ごした4年間だったと思います。

  可もなく不可もない大学4年間を過ごした杉岡は、「家業を少しだけ意識して」アパレル系に照準を合わせた就職活動を始める。時は第2次ベビーブーム世代の就職氷河期。なかなか就職先が決まらず焦りが生まれる。そんな時、「落語家になりたい」という思いがふくらんだ。父にそう告げると殴られた。

 いよいよ就職が危うくなってきた時に親に相談しました。落語家の夢は一蹴されましたが、親の知り合いの人に紹介されたのが、尾州産地の中伝毛織(愛知県一宮市)です。

 同じ織物でも綿とウールではここまで違うんだという驚きの連続でした。ウール生地の製織技術の高さと生地種の多彩さを知りました。外注先を回る仕事では人付き合いの大切さを学びました。外注先を訪問するとよく、「お茶でも飲もうか」とおっちゃんたちに誘われます。一応真面目に仕事をしていたので断っていたのですが、それが実は、反物を畳んでいなかった時の言い訳であり時間稼ぎだったことを後で知ります。それを理解してからはお茶の誘いを受けるようにし、結果、多くの人と信頼関係を築くことができました。納期管理や糸管理に楽しさを見いだしたのもこの経験からです。

  企画という部署では“尾州の匠”と呼ばれる人物の仕事をそばで見ることができた。

 この方には織物が持つ無限の可能性を教わりました。

  杉岡はその後家業を継ぐことになるのだが、定番品を織る傍ら、珍しい糸を使ったり、新しい織物規格を取り入れたり、開発力には定評がある。中伝毛織の経験が生きているのは間違いない。

 中伝さんにいた4年間は本当に貴重な時間でした。今でも足を向けては寝られません。