明日へ 縫製編 (30) フジキュウ服装

2021年10月08日 (金曜日)

新たな柱を模索

 大阪府大東市に従業員85人という、日本の婦人服縫製工場としては大手の会社がある。フジキュウ服装だ。ミセス向け婦人服の縫製を請け負ってきたが、新型コロナウイルス禍で業界構造の変化が加速する中、既存事業を柱として維持しつつ、新たな柱の構築に挑んでいる。

 佐藤正和社長(56)の祖父母が1936年に、婦人服仕立て販売店として中国の吉林省(旧満州)で創業。戦後、大阪に戻り子供服縫製工場として事業を再開する。その後、佐藤氏の父が社長に就く。

 佐藤氏は大卒後、ラピーヌで3年間“修業”。92年、27歳の時にフジキュウ服装に入社した。当時既に、同社の主要縫製アイテムは、百貨店で販売されるミセス向けのジャケットやコートなど高級重衣料に変わっていた。バブル景気ははじけていたが、同社の業績はまだ良かった。結婚などを機に地方に戻った女性従業員の何人かが、独立してサンプル縫製などを行っていたので、彼女たちの工場も外注先として活用し、それまでよりも安い商品も受注した。

 しかし、このような工夫でしのげたのも2000年ごろまで。佐藤氏は、同社業績がピークを過ぎた05年、40歳で社長に就く。婦人服市場規模そのものが縮小する中で、ファッションがカジュアル化。同社が得意とする重衣料への需要の減少を受けて佐藤社長は「もう一つの柱」を模索する。

 この模索の中で見いだした光明の一つが、デザイナーズブランドの縫製だ。手間を省いていかに安く作るかが重要視されがちな軽衣料よりも、「どう縫えばいいか悩むような奇想天外なデザイン」の服に挑む方が、丁寧な仕事を売りにしてきた同社に合うと考えた。4、5年前からデザイナーズブランド向けの縫製に取り組み始め、「3、4年で太いパイプになってきた」。

 新型コロナ禍を機に、服飾専門店向けの縫製にも取り組み始める。自ら営業に回り、実績も出てきた。新型コロナウイルス禍は、思わぬ発見も同社にもたらす。単価が安い政府発注の医療用ガウンの縫製を、縫製スペースを埋めるためにやむなく請けたが、意外にも採算が合った。量が多かったからだ。このため、雑貨など量が見込めるアイテムなら、スペースの15%程度を割いてもいいかもしれないと考え始めている。

 新型コロナ禍で中断したが、同社は新卒を毎年2~5人採用してきた。このため、従業員の平均年齢は30代前半と若い。加えて、鴻池生活科学専門学校(大阪府東大阪市)のファッションデザイン学科と提携して講師を派遣してもらい、パターン(型紙)作りも教えている。このため、国家資格を持つパタンナーも現在6人いる。

(毎週金曜日に掲載)