繊維街道 立志編/カジハラデザインスタジオ 代表 梶原 加奈子 氏(中)

2021年10月13日 (水曜日)

苦学の末にRCAへ、日本の現状知る

 梶原は就職したイッセイミヤケでテキスタイル企画を担当する。その後、プリーツの技術などを学び、プリーツを応用した単品ブランド「ミー・イッセイミヤケ」の立ち上げに参画する。順風満帆にキャリアを積むが、同社を3年半で辞めることになる。そこには、ある決意が芽生えていた。

 イッセイには海外から才能豊かな人たちが入社してきます。世界基準の職場で、自分の力不足を痛感しました。もっとグローバルな環境で鍛えなければいけない。実は多摩美の学生時代から、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA・英国ロンドンの王立芸術大学院)の交換留学の道を開きたいという相談を受けており、改めて受験を決意しました。しかし、当時は多摩美とのコネクションもないので、まずは「自力で入学して」と教授に言われたんです。英語を猛勉強しながら準備を進め、なんとか合格にこぎ着けました。

 ところが、ロンドンに引っ越して手続きをしに行くと「不合格です。間違って合格通知を出してしまった」とRCAから言われました。諦めていったん帰国することも考えましたが、このままロンドンに残り、もう一度受験することを家族や恩師に促されました。そして、翌年合格することができました。限られた資金の中、とにかく勉強だけにお金をかけました。小屋みたいな所に住んでましたし、若かったというか、よく生き抜いたと自分でも思います(笑)。

  RCAでは、リバティ社やBMWといったグローバル企業から課題が与えられ、コンペを勝ち抜くと賞金がもらえた。ユニクロのTシャツコンペでは、自分のデザインしたTシャツを中国で制作、世界で販売し、また英国に戻るといった経験もしている。

 RCAのクラスメートはイタリア、フランスなど欧州出身で、アジア人は私だけ。クラスメートともコンペを競うのですが、個性がなければ採用されません。自分自身のバックグラウンドがとても大事だと知り、日本の文化や歴史、思想、美意識などについて深く考えるようになり、日本を愛する気持ちも強まりました。

 RCAでの体験で印象深いのは、英国のインテリア企業からの依頼で、中米・グアテマラの織物工場に2カ月滞在したことです。工場の機械や残糸などを使い、英国で販売する生地を提案する仕事です。スペイン語しか通じず、また治安が悪く、ライフルを持った警察官がウロウロ歩いている場所でしたが、厳しい環境下で英国に商品を供給していることに興味を持ちました。画を描くことに加え、経済や社会との関係性など、テキスタイルデザイナーには別の役割があるのではないか、そう考えるようになりました。

 教授に相談すると「大手企業はアジア地域に仕事を発注するから、日本の産地が厳しくなる。日本に戻って仕事をしたら」と説明されました。当時は、日本の川上~川下といった業界構造も分からず、日本のテキスタイル産地が厳しい状態に置かれている現状も理解していませんでした。

 翌年、RCAを首席で卒業したことで、RCAが多摩美に興味を持ってくれました。次年から交換留学がスタートし、両者の関係性を深める当初の目標を達成することもできました。しかし帰国すると、テキスタイルデザイナーの仕事が少ないことが分かりました。産地で働くことも難しく、2000年以降は、かなりデザイン業務が減っていたようです。