繊維街道 立志編/カジハラデザインスタジオ 代表 梶原 加奈子 氏(下)

2021年10月14日 (木曜日)

テキスタイル産業の未来を創造

 就職に迷う中、野村総研と経済産業省の仕事で、10年後のテキスタイル産業についてリポートを作成する。当時はパリの素材見本市「プルミエール・ヴィジョン」(PV)に産地企業が出始めた時期で、色やデザインにおいてマーケットとのズレが指摘されていた。梶原は「市場にフィットするデザインが求められる」とリポートを提出した。

 欧州のブランドからは「ユニークな技術だけど、この生地の服でどこに着ていくのか」といった厳しい評価もありました。日本の仕事がなくなれば、グローバルに出るしかない。でも産地企業は世界のマーケット事情を知らない。経産省の方から賛同を得たのですが、やはり産地を改革することに意義がある。ここに確信を持ちました。

 元旭化成の方に紹介していただき、シャツ地やウールの開発で播州、尾州の産地に入ったこともあります。外部人材として採用してもらい、フリーランスとして働き始めました。これからの日本に必要な物を考えていたら、普通の会社員になれなかった(笑)。ただ、産地が変化しなければいけないタイミングで、意欲的な経営者と出会えました。運がよかったですね。

 家族が北海道に居るので、英国から北海道に戻り、フリーランスの仕事も北海道から産地に通っていました。2週間、産地に行ってデザインをして、北海道に戻るといった生活をし、給料の大半は交通費で消えていました。3年ほど1人で仕事をしていたのですが、尾州のソトーに新たな事業でディレクターとして起用されました。当時30代前半、異例の抜擢だったと思います。ソトーが自社素材を開発し、海外の有力ブランドに展開するのが目的でした。

 ソトーは染色整理加工が専門なので、(尾州の生地メーカーと競合しないように)生機は他産地から調達していました。当時は他産地の企業はウエルカムではなく、クローズの状態でした。しかし、産地をまたいだ交流をスタートさせました。桐生や米沢の生地を尾州に入れ、加工していました。その後、PVへの出展で海外ブランドとの取引がスタートしました。私が北海道の人間だったので、産地間の取り組みを認めてくれたのかも知れません。私が尾州出身の人間だったら、桐生に入ることはできなかったでしょう。

   東京、札幌の2拠点生活で、東京の事務所に9人、札幌の事務所には3人の社員がいる。2017年には札幌の複合施設「コキュウ」を立ち上げた。現在は、丸萬、川田ニット、近藤紡績、木曽川染絨などのコンサルティングを行っているほか、名古屋紡績の生地ブランドも手掛けている。グーグルとは未来素材開発を共同で行っている。

 以前はテキスタイルデザイナー、ブランディングの仕事が軸でした。現在は生地開発や産地の仕組み作り、製品ブランドの監修といった事業のプロデュースも増えています。今年6月から、デサントとの素材開発も始まりました。

 今でこそ若いテキスタイルデザイナーが増えましたが、15年前までは産地の構造的な問題で、デザインに意欲的な企業は少なかった。大手企業から生産を委託されれば、売り上げにつながった時代でした。当時は新しいことをする必要もなかったので、私のアドバイスを嫌がる経営者もいました。今後も問題解決に腐心し、輸出の道をつくることが私の使命だと考えています。テキスタイルデザイナーとしても、この先の景色を若い人に見せたいですね。

(この項おわり)