繊維街道 立志編  三星毛糸 社長 岩田真吾 氏(上)

2021年11月22日 (月曜日)

後継者か別の道か揺れ動く

 1887年(明治20年)創業の三星毛糸(岐阜県羽島市)は尾州産地の中でも老舗企業の一つだ。岩田真吾社長(以下敬称略)は大手商社や外資系企業を経て2010年、5代目として現職に就任。これまでの経験を生かし海外への進出や自社ブランドの立ち上げを推進してきた。最近では尾州全体を巻き込んだ産業観光イベント「ひつじサミット尾州」の発起人の一人として開催に尽力。「今後はサステイナビリティーとダイバーシティ&インクルージョンが重要になる」と述べ自社と尾州の将来を見据える。

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  岩田は現会長で父の和夫氏の長男として1981年に生まれる。上には姉が2人おり岩田家にとっては待望の長男だった。

 父にとっては待ち望んだ男の子だったため、かなりうれしかったようです。私の誕生に立ち会おうと車で病院へ向かっていた時にスピード違反で捕まったと聞いています。そのせいか結局立ち会うことはできなかったようです(笑)。当時は祖父も存命で、私が祖父を「親分」、祖父が私を「子分」と呼ぶなどとてもかわいがってくれました。祖父、父などの周りからは「お前は後継ぎだ」と言われ18歳までこの尾州の地で育ち、それが普通と考えていました。

 父と同じ慶応義塾大学に行こうと考え通っていた東海高校から指定校推薦を受けました。担任の先生がわざわざ家まで結果を知らせに来てくれたのですが、「岩田さん落ちました」と言われました。指定校推薦で落ちることはまずあり得ないことなので、恐らく東海高校始まって以来の出来事でしょう(笑)。一念発起して勉強に励み何とか一般入試でリベンジすることができました。

  晴れて慶応大学へ入学した岩田。後を継ぐことに抵抗はなかったがこれまでとは異なる環境に身を置いたことで心境に変化が生じる。

 法学部だったため裁判官や弁護士を目指す同級生が多い環境でした。一人暮らしも始め、尾州から外に出て世界が一気に広がった感じがし、必ずしも後を継ぐことだけが人生ではないと考えるようになりました。大学では法律のディベートサークルに入り代表を務めていました。先輩や同級生には優秀な人が多く法律関係の仕事はそうした人たちに任せて、サークルの代表のように人をまとめたりすることの方が向いているのではと思う自分もいました。

 そういったことを漠然と考える中で、さらに見聞を広めようとインターンシップを利用し大手広告代理店で2週間、コピーライティングやマーケティングの研修を受けました。世の中に新しい価値を伝える仕事も面白いと考えるようになり、就職活動ではその会社を受けましたが最終面接で落ちてしまいました。こう振り返ってみると、面接が苦手なのかもしれませんね(笑)。ただ負けたままでは終われないと闘志が燃え上ってきました。