繊維街道 立志編 三星毛糸 社長 岩田真吾 氏( 中)

2021年11月24日 (水曜日)

自分を試したい思いに駆られる

 大手広告代理店の最終面接は不合格だったものの三菱商事の内定を得ることになる。岩田は社会人としての一歩を歩み出した。

 身近な社会人として父に就職活動についての相談をしていました。父からは「俺なら『一緒に稼ぎましょう』と言う人材を採りたい」とアドバイスを受けました。三菱商事の面接ではそれを生かし、内定を得ることができました。真っ先にそのことを父に電話で伝えると喜んでくれました。後になって知ったのですが、父は母に対して「真吾はもう戻ってこないかもしれないな」と静かに語っていたそうです。

 三菱商事では繊維本部に配属され、商品だけでなく物流やシステムを含めたビジネス全体を構築する提案をしていました。ある大手アパレルの中国子会社の立ち上げにも携わり良い経験になりました。新人として特に意識していたことは、言われたことだけではなくプラスアルファで何をするかということです。会議中ではその場で議事録をパソコンで作成したり、先輩や上司が話したことをパワーポイントで図案化したりしていました。そうしたことが評価され入社一年目からリーダー職が参加する会議に呼んでもらえるようになり勉強になりました。

  三菱商事を経て24歳の時に外資系企業に転職。自分を試してみたいという強い思いに駆られたのがきっかけだった。

 三菱商事はとても良い会社でしたが若気の至りで、どこか物足りなさも感じていました。そこで転職先として選んだのがボストン・コンサルティング・グループ(BCG)です。外資系のコンサル企業は「アップオアアウト」(昇進するか退職するか)といわれるように、厳しい人事制度が有名で日本の企業とは大きく異なります。こうした環境で自分がどこまで通用するのかを試してみたかったのです。

 ただ、やはり最初はうまくいきません。深夜を過ぎてもプレゼンの資料作りが終わりませんし、いざ提案してみても相手の反応は良くありません。しかし、先輩が根気強く教えてくれたこともあって半年後には徐々に仕事ができるようになってきました。その後、26歳でアソシエイトからコンサルタントに無事昇進することができました。

  BCGでは厳しくも充実した生活を送っていた。3年目を過ぎた頃、後継者の道を決断することになる。

 コンサルティングの仕事はとても面白く、やりがいもありましたが、お客さまである経営者の隣で仕事をするうちに自分も何かにチャレンジしたいという思いが芽生えてきました。東京で起業するのもエキサイティングではありますが、偶然にも自分には事業承継という選択肢がありました。三菱商事とBCGで学んだことを尾州に持ち帰り、自社や産地に還元することの方がユニークなのではないかと感じ、自分の意思で三星毛糸へ入社することを決めました。