繊維街道 立志編  ヤマモト/オークラ商事 代表取締役社長 山本治彦 氏(上)

2022年01月11日 (火曜日)

家業を思いながらITの道へ

 ヤマモトとオークラ商事は服飾資材の卸販売を行う同じグループ会社であり、扱う商材やサービスの内容で業務を分担している。東京・神田の繊維問屋街が活気にあふれていた時代の空気をまといながら、デジタル技術を駆使した業務改革を推進する。先頭に立って指揮する山本治彦社長(以下、敬称略)は、一度はITの道に進みながら、常に意識の奥底にあった家業への思いに従い、後継者としての人生を選んだ。

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 祖父の徳次氏がテーラー向けの服飾資材卸の山本商店(現ヤマモト)を繊維街の神田須田町で創業したのが1947年。一家は会社近くに居を構えていたが、父の光伸氏が中学生の時に千葉県船橋市に移り住む。山本は75年2月に、3人兄弟の長男として生まれた。

 祖父が復員後に始めた山本商店は、テーラーさんにボタンや裏地などを卸していました。店舗を構えて注文を受けた商品を着分でそろえる〝前売り〟で商売を大きくし、最盛期には90人の従業員を抱え、6拠点を設けるまでになっていました。祖父は威厳に満ちあふれていましたが、家ではとても優しく、よく釣りに連れて行ってくれました。

 時代の後押しも受け、成功を収めた祖父に対し、父は厳しい経営を迫られていました。既製服の普及や生産の海外シフトなどで商環境が大きく変化した上、バブル崩壊の憂き目に遭い、業績は低迷するばかり。蝶ネクタイなど礼装用の装身具を扱い始めたり、縫製会社をM&A(企業や事業の合併・買収)したりと会社の維持に懸命でした。父は自分が苦労しているためか、私に後を継ぐように言うことはありませんでした。

 高校卒業後は法政大学経済学部に進む。

 私自身は家業のことが意識にありましたが、後を継ぐ具体的なイメージまでは持てず、漠然と会社勤めをするものだと思っていました。

 大学時代に「ウィンドウズ95」の販売が話題になるなど、IT時代の到来を強く感じていました。中学生の頃からパソコンに触れていたこともあり、就職先はIT業界を志望。実際にシステムインテグレーター大手のオービックに入社し、システムエンジニア(SE)の職に就きました。

 社会人になってからは、SEとして着実に実務経験を積み重ねながら、会計学や語学にも励むという多忙な日々を過ごす。中小企業診断士などの難関資格を取り、TOEICでは950点を獲得した。努力のかいもあり、順調なキャリアアップを実現できた。

 オービックでは、SE、プロジェクトマネジャーとして、人事、給与、会計、販売管理システムを中心とした企業アプリケーションの開発・導入に従事しました。激務でしたが仕事自体は面白く没頭していましたね。

 10年間勤めた後、グローバルなビジネスを求め、インド資本のシステムインテグレーターに転職。そこではプロジェクトマネジャーとして大規模オフショアの開発・保守を担当しました。

 学生時代はとりわけ勉強熱心ではなかったのですが、社会人になって学習意欲に火が付きました。電車の中や昼食を取りながらでも勉強し、土日は学校に通っていました。なぜ、そこまで頑張ったのか。後で思い返すと、経営者になる準備として、あらゆるスキルや知識を身に付けておこうとしたのかもしれません。

 30代半ばを迎え、人生で果たすべき使命について深く考察していた時期、父から事業承継の打診を受ける。