ひと/伊藤忠商事の繊維カンパニープレジデントに就いた武内 秀人 氏/〝繊維〟の看板掲げる誇り

2023年04月03日 (月曜日)

 1日に伊藤忠商事繊維カンパニーのプレジデントに就任した武内秀人執行役員は1988年入社。最初に配属されたのがブランドマーケティングにかかわる部署であり、以来、ブランドビジネスを中心にキャリアを形成してきた。

 DCブランドブームのただ中で学生時代を過ごした世代。「興味ある分野の部署に配属された幸運を感じながら、目の前の仕事に取り組んできた」と振り返る。

 その中で原点として位置付けるのが、約13年間にわたる「ヴィヴィアン・ウエストウッド」担当の時代だ。若手から中堅へと変わる時期に、キャリアの基盤を築いた。

 「担当し始めた94年当時のヴィヴィアン・ウエストウッドは極めて先鋭的なブランドで、『商売になるのか』と可能性を疑問視されていた。そこへ国内でもブームが訪れ、売り上げは一気に100億円に達した。しかし、それは『オーブマーク』の人気によるところが大きく、ブランドとして本当に支持されていたわけではなかった。売り上げも2、3年で20億円ほどに急降下し、撤退寸前にまで追い込まれた」

 ここからの巻き返しが自身の強みになる経験値として蓄積される。「昨年末に亡くなったヴィヴィアン・ウエストウッド氏は『糸へんのライセンスはやりたくない』と譲らない。それを何とか説得してセカンドライン『レッドレーベル』の開始にこぎ着けた。他にも米国で直営店を展開したり、2000年ごろから電子商取引(EC)販売に着手したりと、今につながる挑戦を重ねた」

 管理職に就いた後も、「ランバン」など数々の主要ブランドに携わり、ジョイックスコーポレーションの社長時代は「ポール・スミス」のかじ取りを担った。「ブランドビジネスの変化を乗り切ってきた」と自負する。

 起伏に富んだ道のりを歩む自身を支えていたのは「努力は報われる」という思い。「入社したころ、突出した能力を持たない私は周囲の優秀さに圧倒された。それでも『目の前のことに愚直に取り組もう』と心に誓い、それを実行し続けた」

 繊維カンパニーを率いる立場になり、繊維事業の活性化にかける思いを強めている。「もし繊維カンパニーのメンバーが自信をなくしているのであれば、『総合商社で繊維の看板を掲げ続ける〝業界の雄〟として現状から逃げるわけにはいかない』と鼓舞したい」。言葉に力を込める。

 今も店舗回りや展示会の視察をいとわないという。持ち前のフットワークの軽さを生かし、加速する事業環境の変化を乗り越えていく。

 たけうち・ひでと 1988年伊藤忠商事入社。2014年ブランドマーケティング第三部長、16年ジョイックスコーポレーション常務取締役、17年同社代表取締役社長、20年伊藤忠商事繊維カンパニーブランドマーケティング第一部門長、21年執行役員・ブランドマーケティング第二部門長、22年同・ブランドマーケティング部門長、23年4月同・繊維カンパニープレジデント。