2002春季総合特集・インタビュー/豊島社長・豊島徳三氏/需要家の信頼得る企業に

2002年04月24日 (水曜日)

 前6月期決算が不良債権や退職給付年金の一括償却で苦戦した豊島。今期はアパレル、原料部門ともに健闘をみせている。「アパレルでも原料でも業界の変化にうまく対応できていることが善戦につながっている」と豊島徳三社長。顧客の期待を敏感に嗅ぎ取り、それにこたえる「“高級御用聞き”になれ」と言う豊島社長に、経営観、そして同社の今後の経営課題について聞いた。

人を育て時代対応進める

  ――繊維業界に明るい話が少なくなりました。

 それは「バブル」のころの残像がまだ頭に残っているからですよ(笑)。どなたかが不況という字は「普況」と書く、とおっしゃったが、この今の状態が正常なんだと思わないとね。株価の3万円台を思い描いても仕方がない。

 当社は160年の歴史がありますが、繊維一筋に愚直にやってきました。10年先は分からないけれども2、3年先を見ながら繊維を追いかけた。先輩たちが知恵と自らの信念で160年の歴史の礎を築き、それを受け継いできたわけですが、それぞれの時代対応で危機を乗り越えてこられたと思います。

 その努力の継続しかない。景気が悪いとか政府が悪いとか言っても仕方ない。会社は自ら守るしかないわけですから役員、社員が力を合わせて困難を克服する、それしかありません。生半可な従来型の発想では今の時代は乗り切れないでしょう。人と同じ通り一遍のことをしていては一生陽の目を見ない。

  ――その意味で今重要な経営課題は。

 「人を育てる」しかありません。商社ですから人以外に財産がない。

 当社2代目の豊島半七は40歳の時に――確か1880年ごろの話ですが――大きな災難に遭遇しました。一宮市(愛知県)の小学校の副読本にもなった(『正直者の半七』)のですが、それによると、当時横浜の唐糸商から今の綿糸を仕入れたものの、遠州灘で船が火災を起こし荷物ともども沈没してしまった。半七はもう一度唐糸商に掛け合って仕入れ、それを売り切り、掛け売りしてもらった2回分の支払いを一日たりとも遅れずに完済したと言います。

 先祖の美談めいた話をするつもりはないのですが(苦笑)、ここに商売の原点があるような気がします。半七は産地で待つ需要家にこたえるため無茶を承知で唐糸商に掛け合い、2回にわたって売ってもらった。信用して売った唐糸商もえらいが、信頼関係がなければ無理な話でしょう。このことは現代でも十分通用します。

 ここ数年、不良債権の発生に当社も見舞われましたが、商道徳の衰退を嫌というほど見聞きする。ある日突然なんの相談もなく店舗閉鎖の張り紙……。別に土下座しろとは言わない。何十年も付き合ってきたのにこれか、と気分が落ち込むこともありました。

 商売するうえでは人を裏切ってはいけない。お客様の身になり、豊島に期待することを敏感に感じ取る研ぎ澄まされた感覚を持て、と役員、社員に繰り返し話しています。時代を敏感に感じ取る感性がなければ時代を乗り切れない。そういう人材が何人いるかの勝負です。そのためには感情に左右されない信賞必罰を肝に銘じています。

“高級御用聞き”で評価を

  ――ところで今6月期の見通しは。

 前期決算は不良債権や退職給付年金の一括償却で苦戦しましたが、今期はなかなかよくやっていると評価しています。残念ながら不良債権の渦から抜けきれませんが(苦笑)。アパレルでも原料でも業界の変化にうまく対応できていることが善戦につながっている。

  ――東京支店が健闘されているとか。

 ええ、お陰さまで。私はアパレル部門の連中に“高級御用聞き”になれ、と言っています。普通の御用聞きはお客様の言いなりで動くが、それではいけない。「鯖が欲しい」と言われても、その日にいい鯵があれば「鯵の方がうまいですよ」と気の利いた魚屋なら勧めるでしょう? それと同じで市場の動向を見定めて企画提案する、そうでないとお客様を間違った方向に誘導してしまう。その意味で、東京支店にはそうした“目利き”が育ってきたといえます。

  ――名古屋本社には不満が(笑)。

 不満ですね、大いに(笑)。もちろん歴史的、地理的なハンデはある。しかし対応が遅い。先日、東京にアパレル部門関係者を集めて会議を開いたが、話の中身は東京の方が充実しているし、取り組みアパレルを表現に語弊があるかもしれませんが育てている。その点を本社の連中に学ぶよう言いました。

 東京支店は以前、大苦戦の時期がありました。潰そうか、と思ったこともあります(笑)。しかし、その中から苦労しながら立ち直ってきた。それに学ぼうと。

  ――豊島といえば素材分野が強い。

 川中は瀧定さんの独壇場で、素材というより原料です(苦笑)。繊維産業と一言で片付けられない産業構造になっています。素材産業とファッション産業は異なる。原料の連中には日本の繊維業界と心中しろ、と(笑)。腰が重たかった紡績さんでも中国へ行く時代です。業界の縮小は避けられない。

 しかし、その中でも踏ん張っている企業は少なくありません。そうしたお客様と最後まで付き合わせていただきます。時代が移り変わる中で商いの中身も変えてきていますし、なにより額は少なくてももうけている。それだけ当社に機能があるわけで、自信を持って取り組ませています。

  ――海外は。

 日本の市場にそう期待できず、本社を向いて仕事をするには困難な時代です。外―外の商いを増やすしかなく、綿花などはそれで飯を食っている。ただ、正直なところ人の育成が遅れたと反省しています。海外出張者は山ほどいるが、彼らは「買いに行く」か「作りに行く」連中で、「売る」人間ではない。私も海外でセールスしたが、売るのと買うのとでは全然違う。

 海外は香港、上海、ジャカルタ、ロスアンゼルス、ミラノに駐在員を置いていますが、情報交換からパイプを広げながら外―外をどう増やすか、来期以降のテーマです。その場合、経費の持ち方を再検討する必要があるかもしれません。ミラノを除き、独立採算でやっていますが、採算にとらわれて開発的な仕事が疎かになる嫌いもなくはない。本社がバックアップして海外店の肩の荷を軽くしないとね。

略歴

(とよしま・とくぞう)1955(昭和30)年慶応義塾大文学部卒、同社入社。63年取締役、73年常務、82年専務。88年9月から社長。69歳。

中国・China/人材養成が先決

 「ロールスロイスを購入するのに順番待ち、なんて国はそうざらにない」としながらも、「日本人が中国でモノを売るのは……」と懐疑的だ。巨大市場・中国を否定しない。しかし外国企業が市場として狙うのは「全土13億人か沿海部3億人か、その中から選りすぐった1億人マーケットか、その選別をまずしないと」と言う。

 同社も合弁事業を展開している。現地の優秀なスタッフを責任者に登用することも将来的にはにらむ。「その前に」として「現地の言葉を自由に操り、習慣を熟知した人間がカギ。そうした人材の養成が先決」と話す。