ごえんぼう

2024年08月15日 (木曜日)

 祖母は運の強い人だった。1945年3月10日の東京大空襲の際、焼夷弾の絨毯爆撃を受けた本所区(現墨田区)に居住していた▼夜間空襲の中、近くの地下壕に逃げ込んだ。しかし猛火が迫ってきたことに加え、焼夷弾が地下壕の入口付近に着弾する。慌てて外に出たところ、焼け焦げた丸太が幾重にも折り重なっていた▼逃げる途中で丸太は焼死体だと気付く。火の海を避けるため隅田川に向かうと、そこは阿鼻(あび)叫喚の地獄絵図だった。溺死、凍死した人が悍ましい形相で浮いていた▼筆者が小学生の頃、空襲の話を聞くのが嫌だった。祖母は包み隠さず写実的に話した。優しく諭しながら「生き延びた私にとって、終戦記念日とは思えない」と吐露、東京下町の本所、深川は壊滅した。毎年8月15日になると祖母の話を思い出す。凄惨な話も今では糧になっている。先の戦争が「記念日」で帰結する安直、あまりに侘しい。