春季総合特集Ⅲ(9)/Topインタビュー/双日ファッション 社長 由本 宏二 氏/自社の役割果たしていく/外需獲得が大方針

2025年04月24日 (木曜日)

 双日ファッション(大阪市中央区)の2025年3月期決算(中国法人含む)は前期比で売り上げが横ばい、利益は微増だった。国内切り売り市場向けは低迷が続くが、重点方針に掲げる輸出は服地、切り売りともに伸ばした。「ワンランク上の商品」の開発、販売にも力を入れており、国内外で評価を高めている。とはいえ、先行き不透明感は増す。由本宏二社長に考えを聞いた。

――Gゼロ時代の到来で先行きの不透明感が増す中、国内外で改めて強化していく取り組みを教えてください。

 混沌(こんとん)とした情勢になってきているのは確かだと思います。綿花相場にも影響が出てきそうですし、株価の乱高下によって消費が低迷する可能性もあります。為替、物価、景気、さまざまなものが不確定要素ばかりですので、しばらくは見守るしかないというのが正直なところです。

 その中で当社に何ができるのか。やはり、原理原則に従って物事を進めていくしかないでしょう。世の中の変化を見極めながら、奇をてらわず、やるべきことを地道に堅実にやっていく。それしかないでしょう。

――やるべきこととは何でしょうか。

 今回の米国による相互関税の問題とは別に、日本は元々、少子高齢化という問題を抱えています。市場が縮小していくということ。商品構造、市場構造をピラミッドに例えるなら、当社の主要なターゲットは真ん中よりも少し下のゾーンです。ピラミッド全体の体積が小さくなる時代の中において、従来のターゲットゾーンでシェアを維持拡大しつつ、別のゾーンを開拓していく必要があります。今のゾーンよりも下ではなく、上を狙います。

 当社には無地の「バンセット」、プリントの「セブンベリー」という自社生地ブランドがあります。目下、そのリブランディングを進めています。新たに、日本の匠の技術力による上質素材の「シンプレミア」、ポリエステルの機能性を持ちながら天然素材の風合いに仕上げた「ナチュレミア」、再生ポリエステルを原料とする特殊構造の糸を使用し綿タッチを実現した「リコッティア」という三つのブランドを投入しました。

――売れ行きはいかがですか。

 従来商品よりも価格帯は高いのですが、実際に好評ですし、「まだまだ売れる」という自信を深めています。

――外需獲得にも力を入れています。

 販売戦略としては、既存商品、既存分野でのシェア拡大、ワンランク上の商品を投入することによる新市場の開拓、外需の獲得という三つが基本方針になります。

 外需とは輸出、中国内販、外・外(海外で生産し海外で納品する)のことを指し、いずれにおいても拡大を目指しています。さらには、日本の産地や染色加工場と一体になったモノ作りに加えて、供給責任を果たすため、中国、台湾、韓国、インド、ベトナム、タイ、インドネシアなどでの生地生産にも力を入れています。

――備蓄(ストック)機能も原理原則だと思います。

 備蓄しづらい環境になっているのは確かです。ただ、主体的に企画開発した生地をこれだけ幅広く備蓄していることが顧客からの評価につながっていることも間違いありません。商品の魅力だけでなく、機能やサービスの面をもっと国内外にアピールしていきたい。しっかりと備蓄機能を果たしていくことが当社の存在意義だと考えています。

――25年3月期を振り返ってください。

 中国法人を含めた売り上げはほぼ横ばいで、利益は微増でした。出荷数量は切り売り向けが苦戦したことから微減となりました。

 輸出は服地、切り売り向けともに増えました。中国向け輸出は微減でしたが、その他アジア向けや欧米が伸びました。今期も不透明感が増してはいますが、海外市場向け拡大が大方針です。そのため外国籍スタッフも採用しましたし、イタリアの「ミラノ・ウニカ」、中国での「インターテキスタイル上海」「同深セン」、中国での個展、同業他社との合同展などを継続します。フランスの「プルミエール・ヴィジョン・パリ」への出展も検討しています。

〈昭和時代の思い出/パイチュウの味〉

 昭和が終わった1989年、由本さんは中国に駐在していた。そこで味わったのが、白酒(パイチュウ)の“強制”だ。当時は「俺の酒を飲むことができたら売ってやる」という世界。連日の酒席に吐いてしまうこともあり、喉をつぶして血を吐いたことや、朝に目を覚ませば全身泥だらけだったこともあるとか。「戻りたくはないが、鍛えてもらったのは確かだし、頑張れば頑張るだけ報われた時代」。それが由本さんの昭和の思い出。

【略歴】

 ゆもと・こうじ 旧ニチメン時代含め双日で一貫して繊維事業を担当。中国、インドネシア駐在、繊維事業部テキスタイル課長などを経て、2010年4月に双日ファッションに出向、同年7月社長。専務、副社長を経て17年7月から現職