春季総合特集Ⅳ(4)/Topインタビュー/明石スクールユニフォームカンパニー/社長 河合 秀文 氏/価格上昇の時代に慣れる/制服リユースにも挑戦

2025年04月25日 (金曜日)

 明石スクールユニフォームカンパニーは、全国的に活発な制服のモデルチェンジ(MC)に対応し、今春も受注を堅調に獲得した。メディカル・ケアを中心としたユニフォーム分野も実績が出てきている。一方で、生徒減など外部環境は厳しさを増す。そのような中、メーカー認定の制服リユースなど新しい取り組みにも挑戦しながら成長を目指す。

  ――主導国のないGゼロ時代に突入し先行きが不透明になる中、国内、海外で改めて強化していく取り組みは。

 人口減少やインフレの問題など時代が変わる中、何か展望が持てるかと言うと、みんなその答えが探せていないのではないでしょうか。

 われわれのような輸入型ビジネスの企業は近年、円安の影響を受けています。米国による関税引き上げは輸出産業へ影響を与えるものの、国内市場が悪くなるとわれわれへも間接的に影響が出てくるでしょう。

 国内では今後どうしてもインフレが続くでしょう。ここ30年間は価格が上がらないという時代が続きましたが、日本人はこれに慣れていかないと仕方がありません。

 日本にも以前は毎年モノの値段が上がっていた時代がありました。そういう時代にまた戻るということです。ただ、その当時は成長活力があり、経済力も上がっていた時代。今はインフレにはなったものの、将来性は見えにくい。ここが一番の問題だと思います。

  ――2024年12月期の総括を。

 学生衣料部門では、全国的にMCが活発になっていることから、新規校からの受注もそれなりに獲得できましたが、生徒減に加え、制服のリユースの影響が顕著に表れ、思ったほどは伸びませんでした。

 スクールスポーツ部門では、新ブランドの「FEEL/D.」(フィール/ディー)の販売実績が出てきており、数字も上がってきています。一方で、生産の不透明さから在庫を前倒しで積んだ影響で、結果的に在庫が増えました。今年は、しっかりと計画を立てて生産を行っています。

 メディカル・ケアを中心としたユニフォーム部門は、スタートから10年以上が経過し、営業に自信がついてきたとともに、顧客との関係性もできつつあります。一部で大型病院への採用もありました。昨年は作業服ブランドの「ペチクール」を終了させました。これがあっても売り上げが伸びており、健闘しました。

  ――今春の入学商戦はいかがでしたか。

 MC校の獲得数も前年並みに推移するなど、順調でした。受注の早期化によって注文の取り方が平準化してきており、生産、納品もスムーズに進みました。これまで進めてきた価格改定も明確に数字として表れてきます。

  ――今期(25年12月期)の強化ポイントは。

 新規獲得を例年通りしっかりとやります。

 一つ新しい試みとして、メーカー認定のリユース制服の取り組みが今春から複数校で本格スタートしました。制服を回収し、クリーニング、修繕などを行った後、販売するものです。制服は3年経ってもしっかりと着用できるものが多い。仕組みを作り、検証しながら全国的に広げていければと考えています。

  ――今後の設備投資の予定について。

 物流拠点の宇部テクノパークアソートセンター(山口県宇部市)へ22年に新物流施設を建設したほか、食堂や寮の改修など、この間進めてきた宇部の拠点への投資が終わりました。次は本社への投資を行います。

 本社の建屋は建設から65年ほどが経ちました。今後想定される南海トラフ地震を考えると、この地域は万全ではありません。そこで、本社の隣にある7階建ての物流倉庫へ営業本部、管理本部、商品開発部などを移転させる予定です。この建物は倉庫として作りましたが、将来的に人が入ることを見越し、耐荷重などもしっかり考えて作りました。来月から改装工事に入り、来シーズンには移転する計画です。

 本社は三つの建物から成るのですが、正面玄関のある建物は解体し、残りの建物は耐震工事とリフォームを行った後、展示室などとして使う予定です。これらの整備が終わるのは再来年の春ごろになりそうです。

〈昭和時代の思い出/ステンレス製電車に衝撃〉

 「インパクトが大きかった」のは1970年の大阪万博。ただし、印象に残っているのは万博の中身ではない。当時は岡山~新大阪間の新幹線は開通しておらず、バスと在来線を乗り継いで万博会場まで向かった河合さん。万博期間中には「会場線」という万博の中央口までつながる臨時線が運行しており、「その車両がステンレス製で衝撃を受けた」。当時、岡山県内ではまだ蒸気機関車が走っていた時代。「これが経済成長か」としみじみ思ったのだとか。

【略歴】

 かわい・ひでふみ 1982年明石被服興業入社。89年取締役。2002年専務。05年から社長。明石スクールユニフォームカンパニー社長も兼務