春季総合特集Ⅳ(10)/Topインタビュー/Asahicho 社長 児玉 賢士 氏/共通課題を協力して解決/高機能ワークウエアNo.1へ

2025年04月25日 (金曜日)

 ワークウエア製造卸のAsahicho(広島県府中市)は、創業100年を迎える2037年に売上高100億円を目標に掲げる。高視認や難燃、透湿防水素材「ゴアテックス」といった高機能ワークウエアを存在価値として強化するのと同時に、アシストスーツ(AS)で海外市場の開拓に乗り出す。働く人に寄り添い、ワークウエアの地位向上を目指す。

――リーダー不在のGゼロ時代において、必要とされる取り組みは。

 以前は、ワークウエア業界でもトップリーダーが旗振り役となって、業界を同じ方向へ引っ張ってきました。現在はその旗振り役がおらず、メーカーそれぞれが個性を独自に伸ばす時代になったのではないでしょうか。

 商品やブランドとしては良いことである半面、業界共通の課題については、協力して解決できればという思いがあります。例えば、販売代理店からの発注はいまだに4割強がファックスや電話で行われています。インターネットのEDI(電子情報交換)による発注への切り替えを全体で後押ししていきたい。

 物流問題が深刻化する中で、共同配送といった踏み込んだ取り組みも今後必要になってくるかもしれません。SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて、製品の回収と再利用の窓口を統一し、可視化していくのも良いかもしれません。

――直近の業績は。

 24年11月期売上高は、前期比7%増の26億6千万円でした。経費や仕入れ価格の高騰、販促ツールを拡充するための投資が影響し営業利益は微減でした。

 25年11月期第1四半期は、大型案件の受注もあり、売上高が前年同期比20%増でした。五カ年計画としてこれまで取り組んできた成果が表れています。このペースを維持して、通期売上高32・5億円を目指したい。

――創業100年を迎える37年には売上高100億円を目標に掲げる。

 第1段階では、土台となる組織の改革と強化を進めました。23年にブランドプロミスを「STAND BY WORKER」―働く人に寄り添う―と定めました。MVV(ミッション:使命、ビジョン:理念、バリュー:行動指針)も定め、会社が一丸となって動き出しています。MVVを定めたことで、若い従業員を含めた皆が、自ら考えて行動するようになりました。

 国内工場の技術力向上と継承も進めています。昨年金賞と銅賞を受賞した技能五輪全国大会に今年も挑戦します。若手従業員に既製服縫製技能士の取得を支援し、現在では10人が取得しています。直営で6カ所の縫製工場を持つことは、他にない強みです。当社で作る製品の品質を全体的に底上げすることにもつながっています。

 会社の土台となるこれらの取り組みを着実に進め、次の段階に移りたい。

――売り上げ達成への道筋は。

 節目となる28年11月期までの5カ年計画では、売上高50億円の達成を盛り込みました。これを達成するため「高機能ワークウエア№1ブランド」の地位を確立させる。まずは現在売り上げの柱となっている、高視認と難燃、透湿防水素材「ゴアテックス」の三つの柱をさらに伸ばしたい。

 加えて、無動力型AS「e.z.UP」(イージーアップ)の海外販路拡大を目指します。21年に旭蝶繊維からAsahichoに社名を変えたのも、海外市場への進出を見据えた戦略です。

 11月4~7日にドイツのデュッセルドルフで開かれる、世界最大の労働安全・衛生分野の見本市「A+A2025」の体験エリア「エクソパーク」に出展する。これに向けて改良を施した新作を発表する予定で、海外販売に道筋を付けたい。A+Aで展示されているワークウエアは、機能に対してリスペクトする社会的背景があり、価格も高い。それでいてちゃんと売れています。「素晴らしい商品を作っている。だから、この価格に見合う価値がある」という確固たる自信を持てる、誇りあるワークウエアを開発していく。

 売上高100億円の達成には、事業領域を拡大する必要がありそうです。ワーキングに関連したウエア以外の製品やサービス、M&A(企業の買収・合併)も選択肢に入れて考えています。

〈昭和時代の思い出/蚊帳を吊って寝た小学生時代〉

 「蚊帳の中で寝るのが大好きだった」と小学生だった昭和時代を振り返る児玉さん。秘密基地のような雰囲気で、「何だか別世界に入ったような楽しさがあった」と目を細める。家族みんなが並んで寝ていたことに、ある種の一体感も覚えた。網戸の登場で使う人が減り、空調の登場でほぼ姿を見なくなった蚊帳。“古き良き昭和”といえば、一番に思い出す風景なのだと言う。

【略歴】

 こだま・けんじ 1990年伊藤忠商事入社。96年4月旭蝶繊維入社、97年取締役、2003年常務、07年副社長、11年2月に社長就任