ひと/シキボウ社長に就いた鈴木 睦人 氏/企業は人がいてこそ成り立つ

2025年06月30日 (月曜日)

 「私の社会人生活は、意図せずとも“リスキリング”の連続だった」。27日、シキボウの新社長に就任した鈴木氏は、大学卒業後に同社へ入社して以来、さまざまな部署や工場を渡り歩いてきた。

 最初の配属先は高知工場(高知市)。設備の更新に加え、自動化にも取り組んだ。専攻は化学だったが、ロボットやプログラミングなど、入社後に学び直す機会が多かったと話す。続く富山工場(富山市)でも「同じことの繰り返しだった」。自ら技術教本を作成し「今でも工場でその教本が使われている」と言う。

 その後は、江南工場(現シキボウ江南、愛知県江南市)で総務・人事などを担当。分野は変わっても、常に新たな知識を吸収し続けた。国内外を転勤し、入社から37年間で引っ越しは13回。「社内で一番多いかもしれない」

 最も心に残っているのが2017年に工場を閉鎖したタイシキボウだ。赤字だった工場を黒字化へ導いたものの、最終的には閉鎖という苦渋の決断を下した。こうした場面では後処理が雑になりがちだが、タイでは違っていた。

 工場閉鎖の最後の日、従業員たちは工場の隅々までわたぼこり一つ残さず清掃し、機械もピカピカに磨き上げていた。「あまりに奇麗で、このまま置いておくと逆に錆びてしまうのではと思ったほど」。そこには、工場への愛着と、共に働いた仲間や会社への感謝が込められていた。「思い出すと、今でも涙が出そうになる」。この体験を通じて、「企業は人がいてこそ成り立つ」という信念を一層強くする。

 座右の銘は「努力」。「お小遣いを親に頼むのが嫌だった」ことから、小学5年生のときに新聞配達を始め、高校卒業まで続けた。大学では貯めたお金で初めてスズキの自動車「アルト」を購入。「大学でのあだ名はずっとアルトだった」と笑う。

 「人にされてうれしいことを人にする」という信条を大切にしている。これは親から教えられたもので、後にキリスト教の教えにも通じると知った。「周りの人に助けられて仕事ができた」と繰り返し語るその言葉の端々には、感謝の気持ちを常に忘れない姿勢がにじんでいる。(佑)

 すずき・よしひと 1988年3月信州大繊維学部卒、4月シキボウ入社、2014年11月マーメイドテキスタイルインダストリーインドネシア社長、16年7月タイシキボウ社長、18年4月繊維部門開発技術部長兼グローバル事業推進室長、19年6月執行役員繊維部門開発技術部長兼営業第一部長兼富山工場長、20年4月同繊維部門開発技術部長兼シキボウ江南社長、21年6月同機能材料部門複合材料部長、24年6月同コーポレート部門副部門長〈経営戦略・中期経営計画担当〉。27日に社長に就任。岐阜県出身、59歳。高校・大学では合唱部に所属。カレーが大好物で、毎週金曜日には本町界隈でカレーを食べ歩くのが楽しみ。