澤村設立100周年記念/自由な雰囲気「挑戦」への寛大な態度

2025年08月25日 (月曜日)

〈出席者〉

代表取締役社長執行役員 春日 英一郎 氏

代表取締役会長執行役員 春日 強 氏

取締役専務執行役員 酒谷 典秀 氏

取締役相談役 春日 和夫 氏

執行役員アパレル事業部長 田中 一志 氏

執行役員繊維資材事業部長 柴田 孝 氏

執行役員インナー事業部長 野田 悦雄 氏

執行役員管理部長 奥野 純永 氏

 繊維商社の澤村(大阪市中央区)は、今日8月25日で会社設立100周年を迎えた(創業からは153年)。時代の変化に対応しつつ、ここまで長く会社が持続した理由は何なのか、次の100年へ向けた展望は――。現幹部に語り合ってもらった。

〈それぞれの“サワムライズム”〉

  ――設立100周年を迎えられました。澤村という会社が持つ魅力や好きなところを挙げてください。

 春日社長 私が当社に入って約20年になりますが、社員に可能な限り挑戦させてくれる風土が好きです。もちろん挑戦には失敗も付きものですが、少なくとも前向きな挑戦を遮られることはありません。

 田中氏 私も同じで、挑戦させてくれるところです。もちろん結果は出さないといけないわけですが、思い返せば私自身、さまざまなことに挑戦させてもらいました。頭の中で事業を組み立て、動かせてもらう。それはやっぱり楽しい作業ですね。

 春日会長 社員の挑戦を許すというDNAが当社には根付いているように思います。私が入社3年目の時に、業績不振で所属していた部が解散になり、誰もいなくなったことがありました。そこで一人で新しいことに挑戦したいと考え、会社に相談したところ、許しが出ました。入社間もない若手に自由に挑戦させてくれる。こんな会社は珍しいと思います。そしてこの風土は今も続いています。

 柴田氏 自由度が高いところが好きですね。上司から細かいところを注意されたこともほとんどありません。その分、個人間のぶつかりはよくあり、昔は先輩たちのけんかもよく目にしましたが、われわれの世代はそれも学びに変えてやってこられたと思います。

 酒谷氏 自由度は本当に高いと思います。ただ、若い頃の私にとって、そうした風土は欠点にも映りました。何をすればいいのか迷うという意味です。そんな時に助けてくれたのが、社外の人たちです。澤村という会社を信頼してくれる産地などの仕入れ先、販売先の人たちです。「澤村なら何かしてくれる」という期待と信頼を社外の人たちから感じました。先人たちの頑張りや振る舞い、実績によって作り上げられたものですので、これからも信頼と期待に応えられる会社であり続けたいですね。

 野田氏 良い人間が多いのが澤村という会社だと思います。“サワムライズム”とでも言いますか、昔から今まで社内で悪い人間に出会ったことがほとんどありません。とはいえ昔はハードな先輩方もいらっしゃいました。厳しい声が飛び交うこともありました。でもそれは人への熱さであり、人間的に悪いわけではありません。いつも最後は助けてくれました。人間ですので向き不向きは当然ありますが、私はこの“サワムライズム”が好きですし、これからも大事にしていきたい部分です。

 春日相談役 澤村は時代の変化に対応してきた会社だと思います。私が入社した1964年ごろは、「澤村とは」というものがまだない時代でした。当時の社長に言われて取引のあった神戸の貿易会社で2年間勤めたこともありましたし、合繊メーカーからのチョップの仕事では、余った糸でトリコットを作り、それをオリジナル品として安く売ったこともありました。こうした時代に今日の自由度の高さ、挑戦を奨励する風土が醸成されたのかもしれません。「個人の能力をいかに引き上げるか」は常に意識してきましたし、個人の能力の高さが澤村という会社の力でもあります。また、当社の形態は商社であり、仕入れ先や顧客との関係性がないと何もできません。関係性を密に築き、少しだけ同業他社よりも早く動くことで発展してきたとも言えます。それができたのも、自由度の高い雰囲気のおかげでしょう。

 奥野氏 性格的に温かい人が多い会社だと思いますし、そこが私の好きな部分です。ミスをすれば当然叱責(しっせき)はされますが、次のチャンスを必ずくれる。それとやはり、自由度が高いのでさまざまな経験ができる。モノ作りから組み立て、与信管理もしながら販売まで一気通貫で進められる。そういうところに魅力を感じます。今あるものを売るという会社ではなく、自分で作って自分で売る会社です。

〈分厚い信用のうえに“挑戦”がある〉

  ――これまで仕事をしてきて印象に残っている出来事、また澤村の伝統を実感することはありますか。

 奥野氏 仕入れ先、販売先ともに誰でも会ってもらえる。そうした時に伝統を感じます。先輩たちが築いてくれた信用があるからこそ会ってくれるわけですからね。

 野田氏 長い歴史の中でトラブルがなかったわけではありません。“事件”と呼べるものも幾つか経験しました。現・春日相談役が財務部長の時代、ある日突然社長に就任されたこともありました。当時は事情を深く分かっておらず、「この会社大丈夫か?」と感じたことを覚えています。後になって社長人事の裏事情を知りましたが、会社が大変な状況だったことは間違いありません。しかしそんな“事件”があっても立て直し、発展していきました。そこに伝統の底力を感じます。何かトラブルがあった際、その都度救世主のような人も現れましたし、澤村という会社のしぶとさ、乗り越える力を感じました。

 春日相談役 当社は営業力に優れた会社だと思います。一方、以前は与信管理機能が著しく弱かった。毎年のように1億円弱の回収できない売掛金が発生する始末でした。私が財務部長を務めていた際にそこにメスを入れました。何も分からない状態からのスタートでしたが、「営業マンの感覚だけでは危険」ということを肝に銘じつつ勉強し、近年はほとんど引っ掛かることはなくなりました。今では与信管理の大切さを皆が理解してくれていると思います。

 過去にはクーデターや社員による不正といった“事件”もありました。会社として大きなダメージを受けたわけですが、仕入れ先や販売先がその都度応援してくれました。あってはならない経験ではありますが、今では良い経験を積んだとも思っています。トラブルを糧に成長できたという意味です。

 柴田氏 当時私はある“事件”の真っただ中にいました。直接の上司が無茶な売り上げを計上し続け、それが不正として表面化したのです。この時のことは一生忘れられません。助けてくれたのは仕入れ先の皆さんでした。先輩たちが築き上げてくれた仕入れ先との深い関係性のありがたみをこの時に痛感しました。退職まで考えたのですが、先輩や仕入れ先に助けられました。

 春日会長 入社して初めて見た澤村という社名の大きな看板に圧倒されました。字体が旧字であったことやその荘厳な佇まいにまず澤村という会社の歴史と伝統を感じました。

 印象に残っている出来事としては、当時の上司が「インドでマドラスチェックを買ってきたから後は任せた」と言われたことを思い出します。信用状(LC)を作ろうにも掛け合った銀行から却下される始末。苦労の末にようやく契約してくれる銀行を見つけましたが、若手社員にこんな仕事を与える会社には驚きしかありませんでした。しかしそうしたある種の無茶振りに鍛えられたのも事実です。こうして鍛えられた当社の人材は、どこに行っても通用するスキルを身に付けています。

 酒谷氏 思い出に残る出来事が二つあります。一つは、中央支店ができた時です。大阪・船場の古めかしい会社に入ったのに、奇麗なオフィス街の淀屋橋に突然居を構え、移ったわけです。営業が主導し、営業部隊だけで中央支店を作り、実際に移りました。この突然の移動に対して「なんじゃこの会社は!」と当時は思いましたね。しかしその後は業績も伸びていきましたので、今思えば良い判断だったのだろうと思います。

 二つ目は、伊藤忠商事出身の清水民生氏を経営者として招へいしたことです。当社はそれまでオーナーもしくは生え抜き社員の方々が経営してきた会社なので、「こんなことがあるんだ」と驚いたし、他の社員も同様で実際に辞めた社員もいました。清水社長が良いとか悪いとかいう意味ではありません。実際に清水社長はそれまでの澤村の良い面は残しつつ、足りない部分のさまざまな改革を進めてくれました。

 田中氏 ある“事件”の際には「ものが買えない」という事態を経験しました。ショックだったし、惨めな思いもしました。“事件”を機に逃げていった仕入れ先や商社もいた一方、応援してくれる人たちもおり、そういう人たちには今でも感謝していますし、交流も続いています。

 澤村発祥の地でもある京都支店で仕事をしたこともありましたが、地元の人たちがよく澤村のことを知っていてくれた。そこに伝統と歴史を感じましたね。

 春日社長 入社約20年で私自身は“事件”の経験は多くありません。ただ、当社の長い歴史を調べたことはあり、社内の“事件”だけでなく、戦争やオイルショック、リーマンショックなど幾多の危機を乗り越えて今があることを痛感しています。仕入れ先様の助けや社員の頑張りがあったからです。何度倒れても立ち上がってきた会社。それが100周年という集大成につながったわけです。

 去っていった人もいれば残った人もいる。辛い経験もさせてきましたが、恩返しのつもりでさらに良い会社にしていきたいという思いを持っています。先人たちに後ろ指をさされるようなことはせず、この先につなげていければと考えています。

〈次の100年へ改めて“強み”を磨く〉

  ――澤村の強みとは何でしょうか。

 酒谷氏 販売先は、澤村が良い商品を持っていかなければ買ってくれません。その意味で当社にとって産地企業や染工場といった仕入れ先メーカーは本当に大切な存在です。その上で、メーカーが作った良い商品の魅力をしっかり伝えることができる社員がいるのが澤村の強みと言えるでしょう。商社はコーディネーターであり通訳。そういう人材が大勢います。

 奥野氏 間口の広さかと思います。事業の幅広さとも言い換えられます。澤村という会社、そしてそこで働く社員の両方が間口の幅広さを持っています。繊維に限定せず顧客の要望を正確に把握し、仕入れ先で形にする。この繰り返しが幅の広さにつながっています。

 田中氏 当社には大きく分けて三つの営業部門がありますが、それぞれ課題も抱える中で「新しいものを作っていこう」という意識の強さがあります。DNAとして受け継がれてきたものですが、今の若い世代にもしっかり伝わっていると感じます。

 春日相談役 先ほども述べましたが、営業スタッフそれぞれが与信管理の意識を強く持っていることだと思います。大手企業のように全てが100点満点というわけにはいきませんが、それに近づいていると思いますし、これからも近づけていきたいですね。

 野田氏 タイマン勝負では誰にも負けないことだと思います。売るだけではなく糸の手配から始まって各営業スタッフが一気通貫でモノ作りしますので、その過程と経験で精神が鍛えられ、人脈も広がります。一方、団体競技はやや苦手と言え、それが課題ではあります。

 春日社長 当社は昔から、仕入れ先・販売先・澤村という三方が共存共栄する「スリーハートの精神」を掲げています。仕入れ先と販売先をつなぐのが澤村の役割であり強みです。当社の社員には、忍耐力、適応力、柔軟性という三つが備わっていると自負していますし、新型コロナウイルス禍を乗り越えられたのもこの三つが備わっていたからです。

 春日会長 かつて厳しい経営環境の時代を何度も経験しましたが、今日の座談会で皆が説明してきた澤村のDNAを社員が受け継いでいってくれていることが強みでしょう。継続こそ力です。

  ――次の100年を見据え、澤村の将来像をどう描きますか。

 柴田氏 今の当社は国内販売が中心で、海外比率が低い。ここを引き上げていきたいですね。大きな課題と捉え、現在進行形で臨んでいるところです。語学力のある人材の採用・育成、海外拠点のスタッフの充実・育成を図りつつ、欧米市場向けの拡大を狙います。

 田中氏 採用が難しくなっている時代の中で、初任給含め給与全体の引き上げは必要になってくると思います。そのためには原資が必要になるわけですから、われわれがもっと利益を出していきます。

 収入の面以外で若い世代に向けて言うとすれば、人とのつながりを作り、仕事を楽しんでほしい。私自身も経験してきたことですが、自分とは違うタイプの人とも仲間にはなれます。社内外で一緒に楽しく仕事ができる仲間を作っていくことを意識してほしいですね。

 奥野氏 マンパワーが当社の強みの一つではありますが、新卒採用が困難になる中、全体として個々の仕事量の軽減も考えていくべきでしょう。そのためには人工知能(AI)の活用やシステムの整備も必要です。給与の面だけではなく、働き方という面でも社員の満足度を引き上げていきたいと考えています。

 野田氏 澤村は人です。一方、国内繊維業界の景況感は今後も明るいものではありません。だからこそ、人と人、仕事と仕事、会社と会社をつなぐことのできる人材が重要になる。その役目を澤村の社員が担います。そのためには個々の能力をさらに引き上げなければいけませんし、採用や定着のためには給与も増やしていく必要があります。その原資を稼ぐためにも利益を追求していきます。

 酒谷氏 取引先に必要とされてきたから100周年を迎えられたわけですから、次の100年もそうありたいと考えています。その基礎を作るのが私の仕事。現状維持で良しとする企業に成長はありえず、成長していこうという気概のない会社に成長は訪れません。

 具体的には、売上高でピーク時の260億円を目指したい。現状のほぼ2倍と大きな目標ではありますが、生地と製品がそれぞれ2倍になれば達成できます。そのために中長期のビジョンを策定し、営業部門、管理部門問わず社員のさらなるスキルアップを促し、人材採用も充実させていきます。

 春日相談役 現状の流通チャネルがこれから変化していく可能性は高い。そこへの対応力が問われます。海外事業やBtoC事業の拡大に力を入れながら、常に成長を目指したいですね。

 春日会長 当社は大阪に本社を置き、東京には支店を設けていますが、売り上げに占める東京支店の比率は15%とまだまだ低い。したがって東京市場に伸び代があるとみています。両本社制も視野に、東京市場の開拓を狙っていきます。

 春日社長 今ある事業はそれぞれ今後もしっかり発展させていきます。加えて地域や社会に貢献する会社であるというイメージも作っていきたい。

 人との出会いを大切にしつつ、行動すれば何かが生まれます。動かなければ何も生まれない。成長のためには動くことが大事です。幸い当社は、挑戦すること、動くことへの自由度が極めて高いわけですから、これからの成長も確信しています。

  ――本日はありがとうございました。