ニイハオ!/東麗繊維研究所〈中国〉総経理に就いた小田 直規 氏/グループにもっと貢献する
2025年09月05日 (金曜日)
子供の頃からスポーツ観戦が好きで「オリンピック向けのスポーツ素材を開発したい」と、東レに入社した。最初の職場は滋賀県にあった瀬田工場のテキスタイル開発センターで、そこでの研究開発にたちまち引かれた。「顧客と一体になって先を行く開発が行われ、面白いと思った」
糸加工グループに配属され、吸放湿性と接触冷感性に優れたナイロンのニット素材「クールイン」の開発に携わった。それが短期間で顧客に採用された。「販売された商品をさっそく買って親に送った」と振り返る。
2001~03年は、トリコット工場の井波テキスタイル(現東レ・テキスタイル井波工場)に出向した。開発だけでなく、生産現場での勤務もこなした。
当時、東レをはじめとする日本の合繊メーカーは、伸縮性に優れた水着用のトリコット生産で世界をリード。「井波テキスタイルでは編み機100台がフル稼働していた」
03年には東レの繊維加工技術部テキスタイル技術室に配属。与えられたミッションは、東麗酒伊織染〈南通〉(TSD)での水着用のトリコット生産の立ち上げだった。計画では、染色工場をまず設立し、外部の協力工場(ニッター)で生産したトリコットの生機を送り込み、染色するというもの。地場の優秀なニッターを探すため、日本から出張し、江蘇省や浙江省の産地を飛び回った。
頼れる情報源もなく、孤軍奮闘する中、欧州のトリコット編み機メーカーが9割以上のシェアを占めていることに着目。「日本経由でそのメーカーの技術者に工場をピックアップしてもらい、そこを重点的に回った」
こうして見つけたニッターとプロジェクトを進めた。自社の強みと位置付けていたカチオン可染ポリエステル品の欧州向けの展開を見込んでいたが、中国、台湾メーカーのナイロン品との価格競争を強いられた。
その後もTSDのトリコットをはじめとするニット事業は、苦戦が続いた。こうした中、14年にTSDに駐在員として赴任。ニット事業の収益改善と拡大に加え、エアバッグ事業の立ち上げを任される。
エアバッグ事業は、「日本と連携しながら着実に計画を進め、約1年半で顧客へのスペックインを達成した」。一方、ニット事業の改善は困難を極めた。当時、工場の稼働率は6~7割。「スタッフと一緒になって、とにかく工場を回してもうけようと努めた」。18年には生産量を倍増させ、収益を改善。同事業はその後、TSDの大事な収入源の一つになる。
18年に古巣の繊維加工技術部に戻った。23年にはテキスタイル機能資材開発センターの所長に就任。同センターは、東レの衣料用と産業資材用の新素材と新技術の開発のヘッドクオーターの役割を担う。また「若手が多く、開発業務を通じて技術の基礎を勉強させる機能もある」。そこで、次世代の育成と組織改革に情熱を注いだ。
改革に手応えを感じ始めた矢先、東麗繊維研究所〈中国〉(TFRC)の総経理への就任が決まる。「若手もやる気を持って職場が明るくなり、これからというところだった」が、「TFRCという一つの会社を任される。期待に応えたい」と気持ちを切り替えた。
今年4月、TFRCの総経理として、7年ぶりに南通での駐在を始めた。「東レグループ全体の利益最大化のために、研究開発の在り方を見直したい」と言う。
その鍵を握るのが人だ。「部長以上のクラスは、非常にポテンシャルが高い。チームビルディングや権限移譲を進めればもっと伸びる」とみる。部署間やグループ企業間の連携も強化し、「グループにさらに貢献する研究所に進化させる」と力を込める。(上海支局)
おだ・なおき 1998年同志社大学機械工学科大学院修士卒業、東レ入社、テキスタイル開発センター第1開発室に配属。2001年井波テキスタイルに出向、03年東レ繊維加工技術部テキスタイル技術室、12年繊維加工技術部テキスタイル技術室主任部員、14年東麗酒伊織染〈南通〉に赴任し技術副本部長、18年帰任し繊維加工技術部テキスタイル技術室長兼繊維GR・LI事業推進室主任部員、23年テキスタイル・機能資材開発センター所長兼第2開発室長。25年4月から現職。53歳。趣味はランニング。