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ニイハオ!/東麗合成繊維〈南通〉総経理に就いた顧 炎 氏/「人」と「正直」が財産

2025年11月25日 (火曜日)

 1991年に上海の華東理工大学高分子化工学部を卒業すると、出身地の江蘇省南通に戻り、国営の化学研究所へ入所した。研究員としてファインケミカルの開発に1年余り携わった後、活性炭の国営メーカーに転じた。しかし、「当時の国営企業は仕事が充実しておらず、効率も悪かった。これではダメだと思っていたところに、外資系メーカーが進出してきた」と振り返る。その1社が、東レグループの合繊原糸メーカー、東麗合成繊維南通(略称TFNL)だった。

 97年に同社へ転職。まだ工場建設の真っただ中だった。初めて見学した際は、「こんなに大きな工場ができるのか」と驚いた。

 入社後の半年間は研修のため、ポリエステルのチップを生産する日本の東レ・東海工場へ。言葉も文化も分からない中、「最初の3カ月は買い物すら苦労したが、テレビや新聞を通じて必死に日本語を覚えた」。

 帰国後、初代重合係長に就き、ポリエステルの連続重合・直接紡糸設備の立ち上げに精を出す。「トラブル続きだったが、日本から派遣されてきた技術者と一緒に乗り越えた」

 同社は当初、中国国内でトップレベルの生産能力(年間約8万トン)を生かし、定番品の単品量産によって利益を出すもくろみだった。しかし、わずか数年で浙江省紹興などのローカル企業が3、4倍の規模の工場を建設し、コスト競争で負けるようになった。

 重合課長に昇格した翌年の2001年、同社は赤字体質を脱するため、「連続重合を維持しながら、ポリエステルとナイロンのチップ紡糸を始めた」。これにより、さまざまなチップを他社メーカーから仕入れ、多品種・小ロットの原糸を生産することが可能になった。

 一方、連続重合はますます重荷に。特にチップ事業が大赤字で、事業収束についての議論が08年ごろから始まった。「赤字を最小限にするため、設備のスケールダウンを進めた」。これに伴い、最終的には「常識外れ」の80トン/日まで落とし、収益はトントンになったが、それ以上の縮小は難しかった。

 18年には連続重合からバッチ重合への転換を決断。「当時の社長との30分程度の話し合いで決まった」と振り返る。その後、同社の収益は好転した。

 自身はこの間、生産部門長や工場長として活躍。20年に副総経理、今年4月には総経理に昇格した。

 当面のミッションは、人材育成だ。間もなく設立30年を迎える中で、「私と同世代や少し上の世代が5~10年後には定年を迎える。次世代の育成が急務だ」。

 同社の魅力は、「人が基本の考え方」と「正直な姿勢」と言う。リーマンショックや新型コロナウイルス禍でもリストラはせず、まず雇用を守った。「社員はこの点を高く評価している」。また「問題が起きても隠さず、真っすぐ向き合う。それが信頼を生み、企業の力になる」と語る。この二つの財産を守りながら、原糸の自販などの新規案件も伸ばし、「さらなる発展を目指していく」と静かな闘志を燃やす。

(上海支局)

ぐう・いえん 1991年華東理工大学高分子化工学部卒。国営化学研究所、素材メーカーを経て、97年東麗合成繊維〈南通〉入社。2001年重合課長。06年テトロン製造部長兼第1紡糸課長兼第2紡糸課長。09年テトロン製造部長兼第1紡糸課長。14年繊維生産部門長兼ナイロン製造部長。17年工場長兼繊維生産部門長。20年副総経理兼工場長、22年副総経理兼総務部門長を経て、25年4月から現職。56歳。趣味は歴史の勉強、散歩。