追悼/元大和紡績社長 武藤 治太 氏/紡績の精神は生き続ける
2025年12月16日 (火曜日)
大和紡績(現ダイワボウホールディングス)の社長・会長、また日本紡績協会の会長として、長く日本の紡績業界をけん引してきた武藤治太氏が10日、89歳で逝去した。近代日本紡績の黄金期を知る最後の経営者の一人でもあった。
筆者が本紙記者となった頃には、既に武藤さんは会長職に退いており、直接言葉を交わす機会がほとんどなかった。それでも互礼会や懇親会でのあいさつを耳にするたび、単なる経営者にとどまらず、歴史と思想に通じた学者然とした一面を随所に感じ取ったことを覚えている。
2003年4月の本紙インタビューを改めて読み返すと、「紡績会社から繊維会社へ」との転換を掲げ、二次製品事業と産業資材分野の拡大に早くから取り組んだ姿勢が浮かび上がる。こうした構想は時間を経て、現在の大和紡績の事業骨格へと結実しつつあり、先見性を改めて実感させる。
一方、綿業会館や國民會館の活動を通じ、日本の紡績史と先人の志を次代に伝える役割にも心血を注いだ。祖父・武藤山治をはじめ、菊池恭三、阿部房次郎、斎藤恒三ら“明治のスーパーエリート”が残した扁額(へんがく)の思想を丹念に読み解き、「紡績は単なる金儲けではなく、国家と民衆のための事業である」と語り続けた。
ある講演では、英国や米国で紡績が姿を消す一方、日本の企業だけが形を変えながら存続している現状にも触れていた。国内では今、紡績工場の閉鎖が相次ぎ、再び厳しい局面が続く。一方で半導体材料などの新分野で存在感を高める企業も増えている。
「大量生産としての紡績の役割は終わったが、その精神は日本のモノ作りの中に生き続ける」と、武藤さんは語っている。現場主義を貫き、工場に足しげく通った姿勢もまた、祖父譲りの「衣被蒼生」(衣をもって広く人々を潤し、幸せにする)を体現したものだった。合掌。(佑)





