節目に跳ねる/新春対談/歴史から学ぶ繊維産業の未来/『日本綿業史』を糸口に
2026年01月05日 (月曜日)
大阪大学 名誉教授 阿部 武司 氏
甲南大学経営学部 教授 平野 恭平 氏
日本の近代繊維産業の歴史は、薩摩藩が1867年に創設した鹿児島紡績所から始まる。それから約160年、日本の繊維産業は世界でも確固たる地位を築いてきた。近年、繊維産業の再編が進む中ら、どのような未来を展望すべきか。経営史・繊維産業史研究の第一人者であり、著書『日本綿業史』(名古屋大学出版会)で2025年に日本学士院賞を受賞した大阪大学の阿部武司名誉教授と、紡績企業史研究会の幹事も務める甲南大学の平野恭平教授に『日本綿業史』を糸口に歴史から学ぶ繊維産業の未来について語り合っていただいた。
〈重要だった内在的要因〉
――日本の近代繊維産業は綿紡績から始まりますが、なぜ日本で紡績業が発展できたのでしょうか。
阿部氏(以下敬称略) 英国では産業革命によって250年前から近代的な機械紡績が始まり、日本が明治維新を迎える前後のアジアに波及してきました。実は日本よりもインドと清国(中国)が早くに近代紡績を導入しました。しかし、成功・発展したのは日本だけでした。その理由として、インドはカースト制度の縛りもあって、紡績業を担ったのは「パールシー」と呼ばれるゾロアスター教徒たちだったからです。後にそこからタタ財閥のような大企業も生まれますが、全体としては社会的少数者に担い手が限定されたことで広がりに限界があった。清国の場合は、官僚による運営が中心だったためにうまくいきませんでした。日本も最初は官営のいわゆる「2千錘紡績」がいくつも設立されましたが、パイオニアとしての意義こそあれ事業として失敗します。ところが1882(明治15)年に民間で大阪紡績、現在の東洋紡が設立されます。渋沢栄一が株式会社方式を採用し、初代社長となる山辺丈夫が英国で学んだ大規模紡績を導入し、2万錘の工場としました。広く民間から資本を集め、最初から大規模工場からスタートしたことが大きかったわけです。
――紡績業を成立させうる土壌が元々あったと。
阿部 江戸時代から日本各地には織物産地が成立していました。江戸時代中期から国内で綿花栽培が普及し、それを原料に糸・織物を作る自給自足から始まり、やがて余剰生産を商人が市場で販売する形になります。つまり、近代紡績は始まる前から、日本は国内に綿糸の市場が存在した。これが紡績業発展の基礎になっています。もちろん、在来の手紡ぎ綿糸と機械紡績による綿糸は糸質がまったく異なり、単純には代替されなかったのですが、その代わりに機械紡績による綿糸は絹糸の代替として普及したと言われています。
平野氏(以下敬称略) 近代産業の導入は“上からの資本主義”と捉えられがちですが、実際は民間の力が中心であり、さらに内在的要因と外在的要因が綿糸によってであったわけですね。実は同じようなことが、日本に新たに化学染料が入ってきた際にも起こりました。需要サイドの力が強かったというのが日本における近代的な繊維産業が定着・発展する大きな力になっていると思います。
阿部 それと、現在の日本紡績協会の前身である紡績連合会(紡連)が82年に設立されていることも重要です。経済学者の矢野誠さんが「マーケットの質」ということを言っています。経済学の完全市場モデルの前提は情報の非対称性がないことですが、実際は大きな非対称性がある。紡連は早くからデータの収集・公開と海外情報の発信をしていました。このため繊維産業は早くから情報の非対称性が小さく、「マーケットの質」が高かったのです。また、紡連は技術者の交流の場になっていたことも、その後の技術的発展の面で見逃せません。
平野 普段は競争しながら、何か問題が起これば団結するのが紡績業界の特徴だということは歴史を見てもよく分かります。その傾向は現在の繊維産業にも残っているのかもしれません。
〈紡績、産地、商社の構造〉
阿部 織物産地も同様に早くから同業者組合が機能しています。公設試験場も早くから設置されました。紡績と産地は競合もしていますが、やはり紡績は産地に糸を売っている。大企業と中小企業が共同しているところに日本の繊維産業の強さがありました。そして両者をつなぐ商社も重要です。日本の綿業と言うのは、全体として動いているところに特徴があります。
平野 阿部先生は紡績と産地の歴史両方を研究し、最近では商社の歴史にも目を向けているのがすごいと思います。研究者は、どうしても研究対象を細かく分けがちだからです。しかし、産業全体を含む組織的企業活動が綿業の強みだとすると、紡績と産地の両方を見る必要があります。そして、これが1930年代から50年代の貿易摩擦の中でどのように変質してきたのかという問題も出てきます。
阿部 日本に限らず英国などの繊維産業に対しても全体構造を見る必要があります。日本の綿業の中核は大手紡績会社であり、中小規模の産地企業を商社がつなぐ構造です。一方、英国は紡績が個別には小規模なものが多かった。資本力を持っていたのはキャリコ・プリンターズといった染色加工会社でした。そして労働組合の力が強かったのも英国の綿業の特徴です。新興国に追い上げられると高級品に特化していきました。英国と日本の綿業は全体的なシステムは同様に見えても、一方は崩壊し、もう一方は生き残っている。そこには何か理由があるはずです。
〈海外事業の原点〉
――『日本綿業史』には、戦前に日本の資本で中国に設立された「在華紡」についても詳細に分析しています。
阿部 これは平野先生の師匠でもある桑原哲司先生の先行研究が大きな意味を持ちました。かつてマルクス主義経済学では在華紡は帝国主義的収奪形態の一つと捉えられていたのですが、桑原先生は「外国籍企業としての在華紡」という史観を持っていました。第一次大戦後、中国資本の紡績が急速に発展し、在華紡と競合関係となります。しかし、在華紡は高級品の生産にシフトすることで競争を回避しようとしました。また、在華日本紡績同業会が結成され、日本の紡連と同様にインド綿の共同輸入を行いました。当時、共同輸入すると海運会社から紡績会社にリベートが支払われる制度がありました。在華紡同業会は、綿花共同輸入に中国資本の紡績会社を参加させています。この点を見ても在華紡と中国資本の紡績会社は、必ずしも単純な敵対的関係ではなかったと考えられます。
平野 桑原先生や阿部先生も「国際経営論」として在華紡を捉え直しています。たしかに在華紡も現地で現地の人を相手に企業経営しているわけですから、単純に収奪できるはずがない。経済学者の小池和男先生も、在華紡の現地経営が戦後の日本企業の海外展開につながっており、日本企業の海外事業の原点だと評価しています。
阿部 代表的な在華紡である内外綿は、現地採用した工員を日本でトレーニングしています。こうしたやり方は、現在にも引き継がれているのでは。ただ、当時は現地採用者と日本から派遣された従業員には昇進の面で絶対的な壁がありました。そこに在華紡の限界があったというのは桑原先生も指摘しています。
〈繊維産業の現在位置〉
――歴史家の立場から見て、日本の繊維産業の現在位置をどのように考えますか。
阿部 「ランカシャーの崩壊」と言われるように、日本の紡績にシェアを奪われたことで、英国の繊維企業は現在では姿を消しています。ところが日本の場合、合繊が登場した際に、かつての大手紡績会社が参入し、そこから化学分野へと事業を広げるなど多角化によって生き残っているのが特徴でしょう。これは英国では見られなかった現象です。
平野 衣料用繊維よりも産業用繊維を伸ばしている面が強いですね。衣料用繊維で韓国、台湾などの追い上げが激しくなると、いち早く産業資材分野に付加価値を求める動きをとりました。
阿部 発展途上国が近代化しようとすると、やはり最初は衣料用の繊維産業からはじまります。安い労働力が必要だからです。綿紡績の場合、基本的な技術は産業革命期にほぼ完成しており、その後の技術革新は基本的に効率化を目的としたものでした。ところが技術開発によって効率化を進めると、基本的に生産品の品質が低下するケースが多いのです。実際にリング紡績よりもミュール紡績で生産した糸の方が糸質に優れ、エアジェット織機による織物よりもシャトル織機による織物の方が風合いに優れるといったことがあるわけです。結局、繊維産業というのは、安い労働力を求めて生産地が移動していく産業だということです。その中で日本の繊維産業がどうやって生き残るのか。海外生産と海外販売も一つの方法でしょう。江戸時代の問屋がやっていたことを世界でやるわけです。
平野 合繊産業も綿業の後を追っていたのですが、合繊企業には産業資材という用途がありました。そこから化学産業へと転換できたことが大きかった。
阿部 それでも日本は先進国の中で繊維産業が一定の規模で残っている数少ない国の一つです。十大紡のうち8社が多角化しながらも現在まで残っているのですから。産地もなくなっていません。ユニークな企業が残っています。合繊企業も化学会社化しながら成長を続けています。また、近年成長したSPAも広い意味で繊維企業です。かつて日本の綿業がやってきたことを世界でやっているともいえるかもしれません。
平野 技術は進歩するものと考えがちですが、もしかしたら“戻ること”にも意味があるのかもしれません。例えば合繊の場合、汎用(はんよう)品では新興国に勝てませんから技術開発に掛けるしかない。しかし、天然繊維の場合は、古い技術を見直すことも有効だと思います。さきほど阿部先生が指摘したように、綿紡績など天然繊維に関する技術革新は基本的に効率化であり、糸質や生地の風合いといった面では、古い技術の価値を見直すことが有効かもしれません。
――ありがとうございました。





