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追悼 小松マテーレ 元会長兼社長 中山 賢一 氏/消費者の感性に届く生地作る

2026年05月21日 (木曜日)

 小松マテーレの元会長兼社長、中山賢一氏が16日、死去した。84歳だった。1964年に同志社大学を卒業後、小松精練(現小松マテーレ)に入社。営業部長などを経て、87年に代表取締役社長に就いた。2003年に会長、06年に会長兼社長、09年に再び会長職に就くなど、長く同社のかじ取りを担った。

 「受託加工にとどまらず、消費者の感性に届く生地を作る」――その言葉には、染色加工業への誇りと危機感があった。その信念が、同社を研究開発型のテキスタイルメーカーへ押し上げた。

 「下請け」ではなく「ヨコ請け」。発注元と対等に向き合い、技術と情報を生かして提案する姿勢を説き続けた。超小型染色機「染料役者」、複合薄膜ファブリック「DIMA」、技術と感性を融合する「知恵テク」路線など、数々の挑戦はこの思想から生まれた。厳しい環境下でも「今日の業績を維持するために明日への仕掛けを怠ってはいけない」と語り、研究開発への投資を惜しまなかった。

 視線は常に世界へ向いていた。「日本最大の研究開発工場になりたい」「60億人に着せる服を作る」。国際生地見本市「プルミエール・ヴィジョン」の出展などを通じ海外市場の開拓にも果敢に挑んだ。東レ合繊クラスター初代会長も務め、産地連携と自立化に尽くした。

 染色加工業は素材メーカーや商社、アパレルメーカーの注文に応じる受託産業と、長く見られてきた。中山さんは、発注元の指示通りに染めるだけでなく、色、風合い、機能、感性を組み合わせ、自ら価値を生む存在になるべきだと説いた。「われわれもメーカーなのだ」――その言葉には、染工場の誇りと自立への思いが込められていた。合掌。(佑)