ごえんぼう

2026年08月06日 (木曜日)

 「原爆を生き延びたファッションデザイナーとは言われたくなかった」と生前に語っていた三宅一生さん。7歳の時に被爆、爆心地から数㌔の地点にいた母親は原爆症で亡くなった▼三宅さん自身も骨膜炎を患い、成人後も定期的に検査をしていたという。実体験を話し始めたのは70代を過ぎてから。「被爆を良くも悪くも言い訳にしたくない。でも、今話すことで世界が少しでも変われば」と教えてくれた▼今日は広島原爆の日。被爆者の高齢化が進む中、当時の凄惨な体験をどうやって自分事として次世代へつないでいくか。風化が懸念される今、三宅さんの言葉を思い出す▼事務所近くの老舗うなぎ店で、記者にうな重を振る舞うこともあった。「遠慮しないで」と一緒にお茶を勧める気遣いの人でもあった。一方、私たちは原爆を自分事として捉えてきただろうか。被爆者に顔向けできるだろうか。原爆の日に再度自問したい。