ジーンズ別冊26AW(4)/ジャパニーズデニムとは?

2026年09月30日 (水曜日)

 「ビッグジョンと米国主要ジーンズブランドの一つであるリー、どちらが早くセルビッヂデニムから革新織機デニムに移行したのか調査してほしい」――ジーンズ製造卸ビッグジョン(岡山県倉敷市)の清水剛社長の一言から今回の調査が始まった。米国と日本、それぞれで繰り広げられたデニムの歴史をひも解くうちに見えてきたのは、「ジャパニーズデニムとは何か」を表す歴史のひとこまだった。

〈セルビッヂから革新へ〉

 セルビッヂデニムとは、シャトル織機で織られ、生地端に「耳」と呼ばれるほつれ止めの一体構造を持つデニムを指す。生地巾が狭く製織速度が遅い特徴を持つ一方、立体感のある織り上がりでジーンズの色落ちに奥行きをもたらす。

 革新織機は、シャトルの代わりに、金属の投射体(プロジェクタイル)や金属の棒(レピア)、空気、水で緯糸を経糸に通す無杼(ひ)織機。織り上がる生地巾は、セルビッヂデニムより倍以上広く、製織速度も速い。生産性が高く、生地製造に革新を起こしたとされる。

 革新織機の実用化を決定づけた最初の大量生産型機種がスイスのスルザー社が50年代に開発、商業化したプロジェクタイル織機だ。

 ビッグジョンは、このプロジェクタイル織機を使った、生地から日本製の「純国産ジーンズ」を73年に発売している。88年に発行された「倉敷紡績百年史」には、純国産ジーンズに使われた、72年に日本で初めて作られたデニム「KD-8」の開発ストーリーが記されている。

 一方、米国の主要ジーンズブランドのうち、リーバイスとラングラーは80年代に革新織機デニムへ移行したと記録が残る。リーは、「70年代前半」という情報のみで確定的な時期は出てこない。この詳しい年代を調査するために、ビンテージデニム研究家の脇谷重輝氏に調査を依頼した。

 脇谷氏は、米国の物資統制で仕様が簡略化されたジーンズ、通称「大戦モデル」の収集家で、本業は航空機のパイロット。職業柄、デニム発祥の地・米国を訪れる機会も多く、当時の歴史を記した書籍や物資統制を示す公文書などの資料も集めている。

 脇谷氏の調査によると、70年代にリーへデニムを供給していた主要サプライヤーは、コーンミルズ社と分かった。さらに、コーンミルズ社がいつから革新織機へ移行したかについても調べてもらった。

 ノースカロライナ大学図書館に原本が所蔵されている「コーンミルズ80年次報告書」によると、74年に同社が織機近代化プログラムを立ち上げ、75年には、クリフサイド工場で同プログラムに基づく近代化織機工場の稼働を開始したことが分かった。

 社内文書だけではなく、外部の客観的な資料でも、革新織機への移行時期が明らかになった。ノースカロライナ州労働局のエレベーター設置建設報告書にあった資料によると、75年7月1日に稼働を開始したとの記載がある。

 以上の調査から、73年に革新織機を使った純国産ジーンズを発売したビッグジョンの方が、リーを含む米国主要ジーンズブランドよりも革新織機への移行が早かった可能性が高いと言える。

〈ほかの供給元の可能性〉

 しかし、米国には当時の主要サプライヤーだったコーンミルズ社以外にも大小さまざまなデニム製織企業が存在しており、ほかのサプライヤーがリーに革新織機デニムを供給した可能性は否定できない。

 候補の一つが、バーリントンインダストリーズだ。繊維・アパレル業界の報道機関である「ファイバー2ファッション」に寄稿された、インドの繊維工学高等教育機関「DKTEテキスタイル&エンジニアリング研究所」などに所属する、繊維・アパレル技術の研究者チームの論文によると、「62年に米国バーリントン社が、スルザー社のプロジェクタイル織機を用いて、14・75オンスのヘビーデニムの生産を開始した」とある。

 同社は、2001年に連邦破産法第11章の適用を申請。03年にW.L. Ross & Co.が資産を取得し、04年にコーンミルズと統合してインターナショナル・テキスタイル・グループ(ITG)となった。19年にはITGがエレベート・テキスタイルズに社名変更し、バーリントンは同社のブランドとして残るのみだ。前述の情報の真偽を一次情報で調査するべく直接コンタクトを取ったものの、破産や買収の影響で当時を知る人がいなかったためか回答はなかった。

 もう一つの可能性が、キャントン・テキスタイル・ミルズの存在だ。ビッグジョン、当時のマルオ被服にデニムを供給したことで知られる米国のデニムメーカーだ。

 縫製の角南被服(岡山県倉敷市)の角南博和社長が16歳だった1969年に「家業の手伝いで、神戸港から届いたキャントン・テキスタイル・ミルズの革新織機デニムを運んでいた」と振り返る。69年には既に、革新織機でデニムを織っていたことを示す証言といえる。同社がリーにデニムを供給していたとする公式な文書の存在は確認されていないが、供給した可能性が完全にないとは言い切れない。

 なお、リーのウェブサイトによると、ジェルトデニムはキャントンミルズと共同開発したと記載されている。このキャントンミルズは、特定の企業名なのか、キャントン地域の工場を指す呼称なのかは、今回の調査では特定できなかった。

 コーンミルズ社以外の供給を完全に否定できない以上、ビッグジョンが先だったかどうかはあくまで「可能性が高い」という結論になりそうだ。

〈日本のデニムとは〉

 どちらの移行が早かったかについては確定できなかったが、ビッグジョンとクラボウが革新織機でデニムへ移行した取り組みは、現在のジャパニーズデニムに引き継がれている。

 セルビッヂデニムを織る旧式シャトル織機は、生産性が低く不良の発生も少なくない。大衆がはけるだけの供給量を確保するためには、革新織機への移行が必要だった。清水社長は語る。「品質と生産性を兼ね備えた“工業製品”としての革新織機デニムこそ日本のデニム」だと。

 海外の愛好家やインバウンド需要に支えられ、近年のデニム・ジーンズ人気が高まっている。その要因の一つとされるのが、セルビッヂデニムだ。日本のデニムを象徴する存在の一つである一方、日米のデニム革新の歴史をひもとくと、国内で初めて製造されたデニムの開発ストーリーにも、改めて光を当てる余地がある。その歴史的背景を発信することが、日本のデニム・ジーンズ人気をさらに広げる一つの方法になるのではないか。