トークとーく/伊藤忠商事執行役員・岡藤正広氏
2002年08月07日 (水曜日)
伊藤忠商事輸入繊維事業部長から一転、西武百貨店との提携プロジェクトの推進役として1年5カ月を東京で過ごした。帰阪して改称されたブランドマーケティング事業部の事業部長に改めて4月に就任、6月には執行役員に就いた。岡藤正広氏は『人に会い、街を歩き、今まで通じていなかった事柄を勉強して視野が広がった』とその期間を振り返る。新しいモノの見方が生んだ食分野への進出。衣・食・住のすべてを包含してリテール接近、ライフスタイル提案を志向する。入社時に夢見た『すべての商品を扱うミニ商社』を今、現実へと手繰り寄せようとしている。
――西武百貨店との提携を進めるSIプロジェクト推進室の室長からブランドマーケティング事業部長に復帰。6月には執行役員に就任しました。
西武さんと1年5カ月ともに仕事をしたことで、思い通りに事が運ばず時にはイライラしながらも(笑)、人に会い、街を歩き、今まで通じていなかった事柄を勉強して視野が広がりましたね。自分が変わったような気もします。
大阪に戻ってから、正直もっともっと前線で商売したくてたまりません。
――昨年のランバン社、今年に入ってのバリー・ジャパンへの資本参加と高級ブランドでの長期戦略が目立ちます。
経営のバランスを重視した結果です。新しいビジネス領域でももうかるところはどんどん攻める。でも常にコアをがっちりと固めてないとリスクだけが高まります。新規事業はうれしい半面、いったいどこまで安定した収益を出せるか不安も湧く。
一方で、現場の若手社員も虫の目ばかりで目新しいビジネスだけをみていると、自分たちの軸足がどこにあり、向かうところがどこなのか俯瞰する視点が欠けてしまう。ビジネスに規制はいらないのですが、絶えずコアを意識しながら自由に市場を泳がないといけません。欧州の高級ブランドは当事業部のコアであり原点、今後もここを追求します。
――繊維カンパニー全体として東京強化を掲げています。看板事業部としての東京シフトは。
事業部8課のうち、東京には今春2課を置きました。10月1日付で1課、来年4月にもさらに1課を東京に移し、東京、大阪で各4課の体制にします。当事業部はカンパニーの中でも、ブランドという特性上、リテールに最も近く、ライフスタイル提案というテーマを掲げている。本来、最も先頭を切って東京に行くべき部署です。東京は客も多ければ情報も豊富。滞留時間がどうしても長くなります。
――リテール、ライフスタイル提案という言葉が出ましたが、これまでのリテール戦略の進ちょくは。
今、衣・食・住のすべてにかかわる組織としてこの事業部で実験を試みています。
これまでの繊維の商売は、この商品ならあの人に、あの商品ならこの人に、と各商品ごとの専門家、ひいてはビッグネームがいて、彼らが点で勝負するきらいがありました。でもブランドいう切り口なら服もかばんも靴もすべてをひとそろえにできます。コンセプトを統一してモノ作りからデリバリー、店舗戦略まで一手に手掛けて面で攻められる。食と住が加わればこれがさらに立体になる。点で勝負すると『横断的な取り組み』は言葉だけが先走って、実が伴いません。
個々のブランドにトータルに対応するのは時代の流れです。もう百貨店、専門店と販路ごとに一部を担うやり方は終わりでしょう。モノは関係なくブランドというくくりで組織を根本的に変える時じゃないでしょうか。
とはいえ、商権を維持しながら構造改革を進めるのは非常に難しい。組織が大きいがゆえのアキレス健ともいえるでしょう。変えるリスクというのは大企業の永遠の課題です。
――ブランドマーケティング事業部でのこれまでの成果は。
思ったよりうまくいっています。私個人としても大阪にいて繊維だけを見るところから、東京に常駐し色んなモノを扱う百貨店とのビジネスを通じて、モノの見方が変わりました。先ごろ事業会社を設立した高級グルメストア「ディーン&デルーカ」の件はここから生まれたし、これまでにない大きなステップだったと受けとめています。近く若者向け雑誌が一冊丸ごと特集で扱ってくれる企画もあり、注目を集めているようです(笑)。グルメストアとは別に、カフェ事業も立ち上げる予定で、合わせて小売りベースで50億円規模のビジネスに育てたい。
当事業部が素人だった事業で大きく育っている例に、キャラクタービジネスも挙げられます。これまで「とっとこハム太郎」「ミニモニ」など大ヒットしたキャラクターがあります。ただ、これらも年に4~5つほど種を蒔いた中で花が咲いた一つですし、未知の分野ということで小学館プロダクションなどその道のプロと組んだからこそ成功することができました。
他分野に進出する時は、必ずその道のプロ、実績のある人を水先案内人に付けることです。繊維のプロでブランドのノウハウを持っているからといって単独で乗り込んでいけるほどビジネスは容易ではありません。
――事業部のビジネスは順調に拡大しているようですが、課を増やす予定は。
今のところありません。ただ、常に各課を小さくまとめ、ハングリーな状態に置くことを心掛けています。大ぐくりにすると、自らの規模に目を奪われると同時に、成功体験に安住します。大組織でもよかったのはバブルの時だけ。億単位でもうかっていれば、売り上げ2000万円、利益200万円の着実に儲かる商売を見過ごしてしまう恐れもある。細かいビジネスを一つひとつ積み上げていくうちに、ビッグビジネスに巡り合うものです。ホームランバッターは不要。アベレージの高いヒッターが必要なんです。半期で利益1億円くらいの組織がちょうど良い。景気が良くならない限り、大きな組織は作りません。大きくなれば分割して別会社化すればいい。これは私の信念です。
――ブランドビジネスでこれまで大きな足跡を残してきました。残している夢は。
28年前に入社した時、最初に配属されたのは服地を輸入する課でした。社内ではどちらかと言えばマイナーな部署で自分はどこか隅の方にいる感じがした。その時、メジャーになりたい、すべての商品を扱う小さな総合商社にならなければならない、と思いました。そういう思いから出発して、今、当事業部は繊維にとどまらず食の分野に進出するほど幅の広さを持ち出しました。
これが仮に別会社になっても、上場できる実力があって親会社に利益貢献できる、個性があってキラリと光るミニ総合商社のように育て上げたい。強いてあげればそれが夢ですね。そのためにはもっともっと視野を広くして色んな商品、情報、分野を勉強し、理解していきたいですね。
岡藤正広氏 略歴
おかふじ・まさひろ 74年東京大経済学部卒、伊藤忠商事入社。アパレル第三部長、輸入繊維事業部長、経営企画・財務・経理・審査 SIプロジェクト推進室長などを経て02年4月からブランドマーケティング事業部長。6月27日付で執行役員に就任。52歳。
記者メモ
カジュアルフライデーの軽装に合わせるかのように、軽快な雑談を交える。しかし、内容には謙虚さが漂う。業界で知らない人はいないと言われる人物が、『東京での1年5カ月、勉強して視野が広がった』と口を開いたのには意表を突かれた。会う前に勝手に抱いたイメージとは正反対。ブランドビジネスには通じても『いまだに長繊維も短繊維も何のことや分からへん』と冗談交じりにさらけ出す。
取材当日のある新聞の朝刊には大手商社がバナナでちょっとしたもうけを出した記事が出ていた。そのことを話すと、新聞名を確認し、『後で読まなあかんなぁ』とぼそり。謙虚な半面、この人はまだまだハングリーだ。