工場へ行こう!/クラボウ徳島工場編/日本最新工場の挑戦

2003年01月27日 (月曜日)

 JR徳島駅から車で南へ30分。海沿いの工業団地の中に、日本最新の短繊維生地染色加工場がある。大阪府枚方市にあった染色加工場(枚方工場)を移転する格好でクラボウが新設した徳島工場(徳島県阿南市)だ。95年12月に完成した。厚地の染色能力は月間230万メートルと日本最大級。晒し能力も合わせた総月産能力は250万メートルだ。バブル景気崩壊や中国製品の輸入増という厳しい環境の中でのこの大型工場新設はクラボウにとって、国内生産基盤を堅持する覚悟の表明でもあった。

操業初期の苦難の道程/受託加工が招いた追い風

 96年2月。徳島工場が部分的に操業を開始した。同年9月には全面操業に入った。しかし、同社営業部門にとっての使い勝手は必ずしもよくはなかった。

 移転とはいえ、設備の半分は新たに導入した新鋭機。染色加工に使う水の質も、枚方工場のそれとは違う。熟練工がたくさんいたなら、このような変化への適応も比較的スムーズに進んだかもしれない。しかし、移転に伴う操業員の世代交代によって、熟練工が少なくなっており、91年入社組み。91~95年入社の人達が、工場操業を担っていた。新しい機械、水、そして環境に彼らが慣れるには、一定の時間が必要だった。則永正好工場長は、1日当たり10万メートルの生産ノルマを課した。しかし、実際の生産量はその90~95%にとどまった。

 「かゆい所に手が届かない工場だと、営業員達は思っていたことだろう」と、則永工場長は当時を振り返る。事実、営業部門からの発注は減った。徳島工場ではなく、社外の工場に頼らざるを得なかった。97年まで、そんな状態が続いた。

 「このままでは、利益を出すどころか、損が膨らむ一方だ」。則永工場長は操業度が上がらないことに悩み続けた。クラボウ以外の会社からも、染色加工を受託する腹を固め、当時の綿合繊事業部長の了解を得た。そして、染色受託の営業経験者を契約社員として雇った。

 当時クラボウは、紳士服地関連企業を主要顧客としていた。徳島工場は、クラボウの営業部門との競合を避けるために、婦人服地関連企業を対象に加工受託活動を行った。婦人服地市場ではそのころ既に、ストレッチ生地への需要が高まりつつあった。受託加工を開始したことで徳島工場は、それまであまり扱っていなかったストレッチ生地の加工にも取り組むことになった。この時の加工ノウハウの蓄積が結果的に、その後発生するストレッチ生地ブームを、同工場にとっての追い風にする。「受託加工で経験を積んでいなかったら、クラボウの営業部門からの発注がまた外部へ流れる結果になっていただろう」と則永工場長はいう。

 受託加工量は一時、徳島工場の全加工量の1割を超えた。その割合は今、クラボウ営業部門からの発注増にともなって低下している。しかし、営業部門からの加工指図を待つだけでなく、自ら外部企業を訪問して注文をもらうという活動を継続していることに変わりはない。それが、クラボウの営業部門とは違う角度での開発のヒントを与えてくれるからだ。

故障の一掃へ、徹底対策

 受注量を増やす対策の一方で、生産効率を高めるための手も打った。徳島工場の設備の半分は、枚方工場から移設した中古機だった。新設機械であっても3年も経過するとメンテナンスを確実にしないと品質トラブルや機械トラブルが発生する。その度に設備を止めて修理したが、いたちごっこだった。修理してもまたどこかで、トラブルが発生した。

則永工場長は、故障を一掃しようと考えた。トラブルが発生すると、関連する工程の全てを一斉に修理するように指示した。ある設備のトラブルの原因が部品の消耗だった場合には、全設備を対象に同種の部品を交換させた。相当な資金を要した。枚方工場時代を通じて、そんな徹底したトラブル対策を施したことはなかった。

効果は、操業員達がはっきりと自覚できるほど明確に出た。1日に1、2回も設備が止まっていた晒しの前工程でも、機械の故障で設備が止まるということがなくなった。品質の安定度も高まった。クラボウの営業部門からの加工指図が増え始めた。操業開始から、3、4年を経ていた。

2000年度は、徳島工場にとって超多忙な年となった。営業部門の頑張りで製造小売大手などから大量の注文が舞い込み、年間で20日間以上の休日返上操業を行ってこなした。結果、徳島工場の期間損益は黒字転換した。クラボウは当初、その時期を01年度だと見込んでいた。1年前倒しで計画を達成したわけだ。その後も順調で、02年度も黒字を確保できそうだという。

まず営業が喜ぶ物を作れ!/開発件数、3年で100件

 綿合繊事業部の全営業部の部長は、2カ月に1回徳島工場に集まり、生産会議を開く。各営業部の課長や課員も、隔回で参加する。徳島工場の開発員はその会議の場で毎回、新開発加工を提案することを義務付けられている。

 徳島工場の開発要員は6人。彼らは、紡織工場である安城工場(愛知県安城市)や北条工場(愛媛県北条市)主導の開発プロジェクトの構成員でもある。両プロジェクトで、染色加工のプロとしての役割を果たしながら、徳島工場独自の開発もこなさなければいけない。新開発加工は、試験加工機による条件設定、量産機での1反加工、同じく量産機での10反加工という段階を踏んで完成に至る。生産会議に提案する新加工は全て、量産機での一反加工段階をパスしたものでなければならない。ハードな仕事ではあるが、この3年間で、100件もの提案を行ってきた。「現在では、徳島工場で生産する新商品の半分が、当工場独自開発の加工を施したものになっている」。則永工場長はそう胸を張る。

 01年12月。徳島工場の開発要員は、連続機で染めた綿・合繊ストレッチ織物を、生産会議のテーブルに乗せた。ストレッチ織物の染色は、液流機で行うのが一般的。連続染色は珍しい。輸出を担当している営業員が関心を持った。翌年3月に出荷できれば、成約は可能だと思った。しかし、量産化のめどがついているとはいえ、それは一反加工段階での話。実際の量産に入った時に新たな問題が発生する可能性は否定できない。成約したはいいが、納期に間に合わないという事態になったりすれば…。営業員にはその不安があった。

 営業員からの新商品開発依頼を断るな。まずは、営業員に喜んでもらえるものを作ることだ。則永工場長は工場従業員にしばしばそう語る。採算が合わない場合もあるかもしれないが、とにかく作れと。コストを下げる方法は、作りながら考えろと指示する。困難への挑戦が、工場の活性化につながると考えるからだ。生機も工場の負担で調達するから、新開発商品を商売につなげてくれと営業部門に要請することも珍しくない。この時も思いは同じだった。技術蓄積の狙いもあって、輸出担当の営業員に、絶対に迷惑をかけないから成約してくれと頼み込んだ。

 徳島工場は、約束通り翌年3月から連続染色したストレッチ織物を出荷し始めた。これは、ヨコ方向に伸びるストレッチ織物だった。その後、タテ・ヨコ両方に伸びるストレッチ織物を連続染色する技術も確立、商業生産に入った。これらを含めたストレッチ織物の出荷量は、昨年3月から現在までの累計で、100万メートルに達している。

 ストレッチ生地の加工は今では、徳島工場を代表する得意技になっている。この他にも、起毛、洗い加工、さらにアンモニアシルケットを駆使した様々な加工など、多くの得意技がある。起毛では、3、4年前に発表した微細起毛の「エクストリーム」が有名だ。ストレッチ織物をきれいに起毛する技術も確立した。ラフなものから緻密な加工まで徳島工場の加工能力は広範囲で、現在も、新たな技術の開発が進んでいる。新開発素材を使って試作したという新たなストレッチ生地が、商談室にさりげなく置いてあった。

工場長便り/一層の品質安定を

 コスト競争力、新商品提案力は従業員一同の努力で一歩も引けを取らないと自負できる段階に到達しつつある。さらに差別化を進め、より一層の品質の安定を図ることが次の課題である。

 差別化を図りながらクラボウブランドを確立する。「クラボウの品質をお客様にお約束する」ために、メーカーの視点からではなく、消費者の視点で物造りをする「クラボウスタンダード」を設定し、合格品には自信を持って「クラボウスタンダード合格品」と明示したい。

 クラボウの総合力(紡績・織布・加工・縫製)をネットワークで結び、迅速に、できるだけコストを掛けずにお客様に喜ばれる商品を作り出す工夫を、従来とは異なる視点で見いだし「品質のクラボウ」をより一層消費者にアピールしていきたい。