04春季総合特集・トップインタビュー/伊藤忠商事常務執行役員・岡藤正広氏
2004年04月22日 (木曜日)
高い山は広い裾野を持つ/繊維以外で「繊維」も拡大
岡藤正広氏は今月、伊藤忠商事繊維カンパニープレジデントに就任した。前任の加藤誠プレジデント体制の4年間で、連結純利益は約40億円増加し120億円にまで成長。岡藤氏はブランドマーケティンググループを率い、これに大きく寄与した。繊維というコップには収まりきらない総合的な「マーケティングカンパニー」を岡藤新体制は志向する。ブランド以外にもマーケティングの手法を広げ、広大な視線で既存商権をとらえ直す。
マーケティングカンパニーへ/顧客と市場 リードする商社
――「マーケティングカンパニー」を志向しています。これはなにを意味しているんでしょうか。
ブランドマーケティングを例に挙げて説明するのが最も適切です。食料や雑貨などを繊維事業に組み入れることで商売が多様化し、収益も上がりました。しかし、それでもなおブランドマーケティンググループに占める繊維関連の割合は85%に上ります。他分野へ積極的に手を広げることで、それにより繊維が圧迫されるのではなく、逆に繊維そのものの幅が非常に広がりました。
当社で、ある商品に携わる人材にとっても、ずっと同じ商品を扱い続けると閉そく感に襲われます。というのは、それを販売する客先はすでにその商品だけでなく別の商品も扱い始めているにもかかわらず、その人間はいまだに同じ一商品にとらわれているからです。つまり、客先というマーケットからとり残されている。本来なら顧客をリードしていくのが商社の姿です。わたしがいう「マーケティングカンパニー」とは、この閉そくを打破し、市場をリードしていくことです。
――それを繊維カンパニー全体で推進するということですね。
従来の当社は個別の商品のタテ割り色が強かった。かつてはそれでも通用しました。なぜなら、顧客となる大手アパレルが保有する複数ブランドにまたがって、ある商品を受注できたからです。スケールメリットを享受できたわけですね。しかし今はそんな時代ではありません。アパレルはブランド別の差異化を求めています。量を追う時代は終わりました。
「マーケティング」はなにも難解な概念ではありません。もちろん、個別商品の知識は大切ですが、市場の動きを把握しつつ、モノ作りや販売方法を考えていくのがマーケティングカンパニーです。
――その際にブランドが効果を発揮します。
ブランドも重要ですが、それだけでは足りません。繊維カンパニーという大きな器を念頭におくと、原料でもテキスタイルでも市場ニーズに即したモノ作りを行うべきでしょう。
――中国に川上・川中の事業投資を過去行ってきました。中国事業の今後は?
繊維産業にとって中国が重要であるのは全く変わっていません。これまでの中国への投資は「広く薄く」でした。また、勉強の側面もありました。今後はより収益性の高い分野へ集中して投資する必要があるでしょう。
百聞は一見にしかずで、中国も現地に行って自分の目で見ないと把握できない点がたくさんあります。事前に会議などの日程を組んで訪れるのではなく、突発的に行って(笑)、現地のありのままの市場を見たいと思います。
素材販売のためにこそ小目標を一歩ずつ実現
――伊藤忠は川下分野の比重が高まり、素材がなおざりにされる、と懸念する声が一部にはありますが(苦笑)。
わたしは、元々は輸入毛織物の担当で素材出身です。この分野は現在では縮小し、素材だけでは生きていけません。その素材を販売するためにはどうするか。その発想が必要です。
たとえ話をします。毛織物は紳士服用途ですね。銀座のテーラーに家族で買い物に行く。たいてい選ぶのは奥さんです。選ぶためには目印になるブランドがあった方が分かりやすい。だから生地ブランドを導入しました。その店はオーダーメードですが、次に既製服でも同じことが通用するし、カジュアルでも同様です。ここには生地の供給だけでなく縫製の商権も生まれます。そしてこれは雑貨にも広がっています。こういった販売全般の仕組みを構想するのが商社の役目です。
――組織改編は念頭に置いてますか。
当面は現在の6事業部体制を変えません。ただ、繊維カンパニーには38の営業課がありますが、このうち事業部長にまで昇格できるのは6人だけという現状があります。組織効率や機動力の面では今のままで構いませんが、社員の動機を考慮すると部門制が望ましいという意見もある。組織に関しては1年間じっくりと検討します。
――カンパニーのトップとしての抱負は。
私のモットーは小さな目標を立てて、それをひとつずつ実現することです。大志を抱いても、たいてい中途で挫折してしまう(笑)。前任の加藤体制で利益は大幅に増加しました。しかしこれをさらに倍増させるのは容易ではない。「繊維」に拘泥せずに、繊維関連を広げるためにこそ他分野へも進出していきます。裾野を広げないと山は高くはなりません。
友を語る/父を亡くしたときの支え
「勉強もスポーツも抜群にできた高校時代の友人Y氏」と岡藤さんは開口一番に挙げた。それ以外にはいないという口ぶりだ。「彼をずっと目標にしてきた」。定期試験が済んだ後は連れ立って本屋に出掛け、折口信夫の評論などを開き岡藤さんに2時間近くも解説したという。「人間的にも大人で、知的に成熟していた」。
高校3年生時、岡藤さんは父を亡くし、自身も病気で療養生活を強いられた。その苦しい時期を支え、励ましたのがY氏だった。「大病と親の死という人生の重大事」を若くして経験したときに最も近い友人だった。Y氏も東大工学部入学後、原因不明の病で半身不随に。その後回復し、医学の道を歩んだ。ともに大病を経たことで、精神的絆をより固くしたにちがいない。