変ぼうする染色加工場・繊維のキーインダストリー(16)倉敷染工(上)

2004年06月14日 (月曜日)

クラボウ依存脱却へ

 「クラボウ依存型ではなく、営業力を強化してテキスタイル販売も手がけたい」。クラボウ100%子会社、倉敷染工(京都市右京区)の西島裕社長はこう語る。03年、社長に就任したばかりの西島氏だが、クラボウ偏重の委託加工からの脱却を試みている。

 西大路七条西入。京都市の中心部よりやや南西。辺りは工場と住宅が混在する地域で、七条通りに面した本社工場を置く同社は、26年創業。44年に倉敷紡績京都工場となるが、58年分離独立、倉敷染工へ。80年には資本金を3億円に増資し、現在に至る。

 実に80年弱の歴史を持つ染工場だが、この10年間は「人減らしと設備縮小に終始した」と言う。

 同社の南側、七条通りをはさんだところにホームセンターがある。土日は買い物客で賑わう。実はそのホームセンターこそ、かつて同社の捺染工場だった。

 6年前、クラボウの薄地プリント受注減もあって、同社は捺染設備を大幅に縮小した。フラットスクリーン10台、ロータリースクリーン2台のうち、フラット2台だけを移設。工場は閉鎖し、今はホームセンターに土地を貸している。

 これにより、捺染能力は月100万~120万メートルから同20万メートルへ縮小した。従業員も10年前まで300人近くいたが、今では65人と4分の1にまで、絞り込んだ。

 同社は丸編み地の浸染、捺染も手がけているが、これもクラボウのニット事業苦戦の影響を受けている。丸編み地浸染の75%をクラボウからの受注に頼っているからだ。浸染の受注量はピーク時に比べ4割減。裏シーズンに至っては月20万メートルにまで落ち込む。

 営業力を強化するしかない。西島社長がそう考えるのも不思議ではない。と言っても長年、親会社からの受注に頼る体質を急変することは難しい。

 そこで、技術者をクラボウ本社のニット部門に置き、「営業を勉強させている」そうだ。同時に新たな人材の採用にも動いており、それは何もクラボウ以外からの受注獲得だけが目的ではないと言う。

 「委託加工だけでは将来、食っていけない。テキスタイル事業へ参入するためにも人材が必要」であるためだ。