伊藤忠・堀田氏が死去
2004年06月18日 (金曜日)
堀田 輝雄氏(ほった・てるお=元伊藤忠商事副会長)16日午前8時23分、心不全のため大阪市中央区の日本橋病院で死去、79歳。通夜は18日午後7時から、告別式は19日午後0時30分から大阪府吹田市桃山台5ノ9の公益社千里会館で。お別れの会を行うが日取りなどは未定。連絡先は同社繊維経営企画部。喪主は長男、輝昭(てるあき)氏。
戦時中の44年10月、前身の大建産業に入社。毛製品輸出を皮切りに国内繊維製品畑を進み、75年取締役、77年常務、79年繊維部門分掌、専務を経て83年から副社長。89年に副会長に就任するまで10年間にわたって繊維部門を率いた。95年3月から02年11月まで、大阪商工会議所副会頭を務めた。
「大変さびしい」岡藤プレジデント
堀田輝雄氏の死去について、伊藤忠・繊維カンパニープレジデントの岡藤正広常務執行役員は「繊維業界全体の支柱を亡くし、非常にさびしい」と、次のようなコメントを発表した。
大胆にして細心、人情の機微を非常にわきまえられた方だった。進取の気性を重んじ、若手でも考え方が正しければ積極的に権限委譲し新しいことに挑戦させ、失敗しても責任を追及しない、そういう企業風土を築かれた。地位役職を気にせず直接上司・役員にものが言える雰囲気も、堀田さんの時代に確かなものになった。故人が築かれた大繊維部隊をさらに大きく育てることが我々の務めと受け止めている。