工場へ行こう!/東洋紡・庄川工場編

2005年03月30日 (水曜日)

新技術への飽くなき挑戦

 JR高岡駅から車で10分程度、越中大門駅からなら徒歩10分の所に、東洋紡の織布・染色加工場、庄川工場はある。ラジオから「東京音頭」が流れ、「男装の麗人」「ヨーヨー」が流行語となっていた1933年に操業を開始した。以来、70年以上にわたって技術を蓄積してきた。そして今も、未知の技術をモノにするために、試行錯誤が続いている。

純綿へのVP加工が急務に

 10年ほど前、「アイロン掛け不要」を売りものした形態安定加工ドレスシャツが大ブームを巻き起こした。その火付け役の一つが、東洋紡が商品化したVP加工シャツだった。

 単純化して言うと、綿製衣料にシワが寄るのは、繊維を構成する分子と分子の間に透き間があるからだ。従来は、その透き間の所々を樹脂でつなぐことで、シワや縮みの発生を抑えようとしてきた。橋を架けるような格好でつなぐので、架橋結合と呼ばれる。しかし実際には、樹脂を繊維内部まで浸透させることは難しく、表層にとどまってしまいがちだった。そうなると、水分の通り道をふさぎ、吸水性を損なうことにつながる。

 VP加工は、樹脂ではなく、気体状の架橋剤を用いる全く新しい発想の加工法だ。気体状の架橋剤を制御しながら繊維内部まで浸透させ、まんべんなく架橋結合を行う。このため、吸水性を損なうことなく形態安定性を付与できるというのが、同加工の特長だ。

 ただし、従来の樹脂加工同様にVP加工も、生地強力を低下させてしまいがちだ。かつての技術では、綿100%生地への適用は難しかった。だから同社は、樹脂加工品同様、ポリエステル綿混品としてVP加工ドレスシャツを発表した。94年のことだ。

 しかし、ブームは長くは続かなかった。ポリエステル綿混のVP加工品発売の数年後には、次なる一手、綿100%のVP加工品の開発が急務になっていた。

延々と続く試行錯誤

 VP加工そのものは、縫製後に行う。しかし、縫製後の加工の工夫だけでは、高性能の形態安定性を綿100%品に付与することは不可能だ。当時の技術で実現できる形態安定性は3・3級まで。同社は、それを3・5級に高めることをめざしていた。原綿調達部門から紡績、織布、加工のすべての部門のスタッフが一斉に、その目標の達成に向けて動き始めた。今から5、6年ほど前のこと

だ。

 庄川工場の製造部長、皆川卓己は当時、開発スタッフとして加工部門を担当していた。原綿調達部門がこれならと狙いを定めた綿花で作った綿100%製生機が皆川のもとに届いた。言うまでもないが、綿100%生地の強力はポリエステル混生地よりも低い。縫製後に行うVP加工時に強力が低下することを計算に入れると、生地加工段階での強力低下は極力避けないといけない。強力が低下しないような処方で、加工の最初の工程である下晒し設備に投入した。この工程では、白度や浸透性を高める必要がある。ところが、必要とされる浸透度に達しない。条件を変えて試す。今度は白度が犠牲になってしまった。一つの要件を満たそうとすると、別の要件を損なってしまう。開発室のデスクでどうすればいいかを考えているうちに、気がついたら朝になっていたということもあった。

 営業、工場、開発の各部署のスタッフは綿100%VP加工の進捗度を確認すべく、定期的に会合を持った。そこで、次回の会合までに試みるべき開発課題を確認し合う。当然ながら次回の会合開催日は、開発担当者にとっての納期となる。

 皆川は、加工段階での試作を、本生産ラインで行っていた。そのラインにしかない設備がどうしても必要だったからだ。生産管理担当者に頼み込んで、割り込ませてもらう日々が続く。しかし、いくら試しても最適の条件が見つからない。

「ナノプルーフ」の誕生

 現富山事業所長の種田 士は「こうすればできるのではないかということが見え出したのは3年ほど前」だったと振り返る。ところが、その方法でやってみても、やっぱりうまくいかない。

 綿100%VP加工の開発には、原綿段階から製品加工までのすべての段階での技術の集積が必要だった。全段階での試行錯誤の果てに、最初の段階、つまり原綿の調合段階にさかのぼって見直したこともある。各段階で課題をクリアーしたつもりでも、最後の製品段階での試験でダメ出しをされたことも。

 開発に着手してから5年以上が経過していた。種田は、「3・5級の形態安定性を安定して確保することが可能になった」との報告を本社で聞いた。安定して3・5級を確保することは、今回の開発の最大の難関だった。

 東洋紡は89年に、米国ATP社から技術導入する格好でVP加工に着手した。しかし、この加工には未知の部分がたくさんあった。綿100%品に3・5級の形態安定性を付与できたことで種田は「やっと、VP加工技術が東洋紡のものになった」と思った。

 東洋紡広報部門は、開発成功の報を受けるやいなや、記者会見を開いた。

 気が遠くなるような試行錯誤の果てに登場したその加工は、「ナノプルーフ」というブランドで発表された。04年2月のことだった。(敬称略)

様々な顧客ニーズに対応/富山事業所のフレキシブル対応

 東洋紡の富山事業所は、入善、井波の両紡績工場と、織布、染色加工の庄川工場で構成される。かつて同社は、自社工場で紡績した糸を、自社で織布、加工して販売することを重視していたが、今は違う。自社生産糸を外部に販売することもあれば、他社から調達した素材に加工で付加価値を付けて販売することある。「顧客のニーズは様々で、それに対応するにはフレキシブルな考え方が必要だ」と事業所長の種田 士は言う。高機能を備えている素材でも、コストが高過ぎて売れないという場合もある。その場合には、外部の糸や生機を活用してコストを下げることを検討する。顧客の様々なニーズを満たすことをめざして、富山事業所は日々変貌しつつある。