06夏季総合特集/報告「チャイナ・プラスワン」の候補から
2006年07月25日 (火曜日)
昨年のクオータフリー体制への移行に伴い、中国は世界の繊維産業、同貿易で圧倒的な強さを見せた。欧米への洪水的な輸出は、欧州連合(EU)と米国による新しい規制を呼び起こした。中国に取って代わるような大きな存在は見いだし得ないが、中国一極集中によるリスクを回避しようとする動きは明確になった。「チャイナ・プラスワン」の一角を担うとみなされるいくつかの国々の特色と現況を、密接なつながりのある企業からの寄稿により報告する。
ベトナム/ニッカベトナム社長・安川敏憲氏
<有望な投資先として注目>
ベトナム社会主義共和国はインドシナ半島の東端に位置し、その国土は南北に1650キロ、S字状に細長くくびれた形をしています。人の気質は南北で異なり、北部の人は我慢強く堅実で連帯意識が強固。南部の人はおおらかと言われています。
北部には首都ハノイ、南部にはベトナム最大の商業都市ホーチミンがあり、当社はホーチミンの近郊に立地しています。
同市は公称600万人の大都市で、フランス統治時代の街並みがあちこちに残った、意外に街路樹や公園など緑の多い街です。市民の移動手段は主にオートバイで、無数のオートバイが朝早くから夜遅くまで街中を埋め尽くしており、クラクションがひっきりなしに鳴り響くけん騒は、同市の名物と言っていいでしょう。機会があればホーチミンを訪れ、日本人の好みにもよく合うベトナム料理に舌鼓を打ちながら、この活気を味わうのも一興かと思います。
この国の歴史は、11世紀初頭に生まれた李王朝にさかのぼりますが、第二次大戦後の現代史は「戦争」と「復興」の繰り返しでした。
フランスからの独立を目指したインドシナ戦争、アメリカとのベトナム戦争、カンボジア侵攻、そして中国との中越紛争……。近隣地域では最も優秀な民族と言われながらも、度重なる戦禍によりベトナムは、経済発展の面で取り残されていきました。
しかし、国情が安定して1986年に発せられたドイモイ(刷新)政策以来、市場開放や様々な経済施策を推し進め、近年は中国を上回る人件費の安さや政治の安定性、手先が器用で勤勉なベトナム人への評価などが相まって、有望な投資先として注目を集めています。
繊維産業の急成長に期待大
<ライバル中国を追撃>
ニッカベトナム(NVN)は04年6月、ドンナイ省アマタ工業団地(ホーチミン市内から北へ約35キロ)に設立。翌年3月から操業を開始した、日華化学グループ8番目の生産拠点です。NVNの当地への設立は、次の理由からです。
・南部はホーチミンを中心とした一大縫製基地で技術は中国より上
・繊維産業振興がベトナムの国策
・縫製業は加工貿易中心で、材料の自国調達率は約25%と低く、高い潜在市場性がある
・染色加工場は国営企業中心から民間へと移行が進み、新規加工技術習得意欲が高く、日華グループの技術総合力が生かせる
・中国一極集中のリスクヘッジを目的に台湾系加工場が数多く進出(約50社)
・人口(約8400万人)が多く、近い将来の国内市場拡大が望める
昨年は、世界貿易機関(WTO)加盟国のクオータフリー化に伴い中国の影響を受け、米国・欧州への輸出不振で繊維産業の成長にブレーキが掛かりました。しかし、今年に入り年初6カ月間の繊維製品輸出額は前年同期比33%増と高い伸び率を示し、今年は大きな飛躍が見込まれます。また、最後の難関だった米国との二国間協定締結でWTO加盟も目前に迫ってきました。
ライバルと言える中国の加工場は小口受注に対応しにくい弱点があるほか、昨年の対日感情悪化も手伝って、日本の繊維商社、バイヤーのベトナム訪問や受注も確実に増えています。お客様の問い合わせも、高機能加工に関するものが多くなってきました。
NVNの存在価値が増すとともに真価が問われるときと、決意を新たにしています。
操業開始8カ月目には単月度黒字を達成できました。今後も、技術サービスを中心とした営業活動に徹し、お客様から信頼を得られる会社として成長し、アジアナンバーワン戦略に貢献していきたいと思っています。
ラオス/山喜社長・宮本恵史氏
<第3の海外生産拠点構築>
山喜グループにおける第3の海外生産拠点であるラオス工場(ラオ山喜)は、今年1月27日、ラオス人民民主共和国ビエンチャン市郊外に開設し、ドレスシャツ生産を開始しました。
弊社は生産の国際展開を非常に早い時期から始めました。1969年には台湾に工場を建設し、日本向けにドレスシャツの生産を始めております。89年にはタイ山喜株式会社を設立し、現在に至っておりますし、95年に上海山喜服装有限公司を設立してドレスシャツの生産を中国でもスタートしております。以上の自社工場以外に、サブコントラクト工場が中国、インドネシア、バングラデシュ、ベトナムで稼働しており、年間1390万枚(2006年3月期連結実績)のドレスシャツ、カジュアルシャツを生産しております。
山喜は、高い品質のシャツを顧客に提供するため、いずれの工場においても山喜が長年蓄積してきた品質管理技術や生産ノウハウを使って生産しております。
山喜の海外進出には一つのポリシーがあります。それは、長期にわたってその地域との信頼関係を構築することと、その地域へ貢献することです。工場のある地域における奨学金の支給をはじめとして、日本語コースの開設、作業者の日本研修等を長期間実施してきています。
タイ山喜を例にとると、工場のある地域で、中学校卒業見込みで成績優秀であっても経済的に恵まれない学生には、毎年90人に対し高等学校卒業までの授業料を奨学金として支給することを、この17年間続けております。
タイ山喜の工場は日本の工場と同じレベルの品質管理技術で運営されています。日本からタイへの技術移転は、タイ山喜のタイ人社員に1年間日本の工場で研修させることによって行ってきています。90年の研修開始以来、現在日本で研修中の06年度研修生5人を含め累計で140人余のタイ人社員が日本で1年間の研修経験を持っております。
これにより、当社のタイ工場における日本人技術者と現地人の管理者の会話はすべて日本語で行われています。「エリ」「マエタテ」などというパーツや、「シアゲ」「サイダン」などという工程名まですべて日本語が通用します。技術移転には日本人技術者と現地人の管理者とのコミュニケーションが極めて重要ですが、タイ山喜では言語の障壁が全くなく、これにより当社製品の高い品質管理が実現されています。
タイのノウハウを移転、勤勉で穏やかな国民性
<言葉の障壁をタイ語で克服>
このような実績のある弊社が次の進出先としてラオスを選んだのには、いくつかの要因があります。
一つは言語の要因です。ラオ語はタイ語と共通の言葉や文字が多く、ラオス人は庶民でもタイ語をおおよそ理解できます。
我々が17年間タイで築いた運営ノウハウと技術力が、今度はタイ人によって、容易にラオスに移転できるわけです。この言語の共通性は大きな要因であり、逆に言うと言語の障壁の克服なくして、ラオスへ進出することは不可能ではないかと思われます。
ラオスで日本語を通訳できる人材はほとんどおりませんし、ワーカーレベルで英語を理解できる人も皆無です。日本からラオスへ進出し、成功している企業のほとんどが、当社と同様、タイで長年の運営実績とノウハウを積み重ね、タイから技術を移転した企業であることからも、このことが裏付けられます。
もう一つの要因は勤勉で穏やかな国民性です。進出決定前から当社経営陣がラオスを訪問してラオスの人々の暖かさに触れ、一様にその国民性に魅せられました。
かといって、何の苦も無く工場立ち上げが実現できたわけではありません。事前にラオスで採用した現地社員をタイで3カ月研修させ、技術を学ばせましたが、当初はまず、工場で働くこと=会社生活の規範から教える必要がありました。しかしながら一度溶け込むと、もとより勤勉な国民性ゆえ、穏やかな女性ワーカーも顔つきが変わってくると言います。
現在、人員150人で日産約650枚程度と、品質重視の姿勢で抑え気味の稼働状況ですが、08年度には年間100万枚の生産を予定しています。
以上の海外展開により、山喜は業界におけるコスト競争に打ち勝つとともに、技術水準の高いタイ山喜、上海山喜では、本縫い仕様の高級商品を手掛けるなど、国内の幅広いチャネルに商品を供給しています。また、これまでもタイからは欧州向けに年間60万枚以上を輸出するなど、海外向け実績も積んで参りました。今期は、ラオスからの欧州向け輸出も開始し、日本向け以外の販路拡大も進めていきたいと考えております。
インド/伊藤忠インド会社ムンバイ支店長・奥井忠之氏
<繊維輸出は着実に拡大>
国際分業で大きな役割を果たすインドの経済動向を最初に述べると、2005年度の実質GDP成長率は8・4%、1~3月期は9・3%成長と中国並みの高成長を続けています。国内消費が堅調に推移していることが背景にありますが、その成長のなかで、繊維産業の位置づけは、GDPの約8%を占め、雇用人数も約3500万人と農業についで2番目となっています。
特筆すべき点は、着実に輸出拡大を果たしていることです。インド経済産業省の最新統計によると05/06年度の繊維輸出は170億ドルを超え、前年対比22%増、全輸出額の16・7%を占め、宝石類を抜き、機械に次いで2番目の外貨獲得貢献産業となりました。とくに、アパレル製品は前年比28%伸び、84億ドルとなっています。クオータフリーによる欧米向け輸出拡大がけん引し、その対応策としての一層の設備投資が続くという好循環下にあります。
アパレル製品に絞って話を進めると、インド縫製は、欧米向けではスポーツ衣料に加え、高級ゾーン向けも拡大し、品質のレベルアップが急速に進んでいます。一方、対日輸出は量販店向け中心でしたが、百貨店、専門店向けに中・高級品を供給するアパレル大手がインド生産を増やす動きを見せており、中国の代替基地として重要度が増しています。
人件費は中国沿海地域の8割程度で、デリバリー期間のデメリットをカバーできるとは思えませんが、一方でコットン、シルク、リネンから毛織物、合繊織物まで、アジアの競合他国には無い、世界一と言われる素材背景と、刺しゅう、ビーズ加工など手作業を生かした製品作りができる点で絶対的な優位性を持っています。
また、パリの高級デザイナーブランドが最近インドをテーマによく取り上げていることも、インド指数上昇に一役かっている点は見逃せません。当然ながら中国が一番の競争相手ですが、ここに来て、相互協力の動きが出てきており、中国繊維産業の高い競争力の移植が進むと思われます。
チャイナプラスワンは「世界の工場」を意味して使われている言葉ですが、忘れてならないのは「消費市場としてのインド」です。現在の繊維産業の規模は約460億ドルで、うち国内アパレル市場は200億ドルですが、10年には2倍の400億ドル規模に成長すると予想されています。
ここ数年、大都市圏を中心にショッピングモールが次々とオープンし、「消費の時代」を迎えています。すでに、欧米ブランドが多数出店し、スペインの「マンゴ」ブランドなども出店を加速しています。一方でインド財閥系がコンビニからハイパーマーケットまで幅広い展開を進めつつあり、アパレルに関しても中国および東南アジア産製品の輸入が拡大しています。もちろんインフラ整備が急務ですが、新富裕層がけん引する消費市場にどのように対応できるか、日本の繊維産業にとって、チャイナ・プラスワンの大きな課題になります。
ミャンマー/三井物産ヤンゴン事務所長・奥田泰雄氏
<日本向けに縫製品輸出>
「ビルマ」という言葉から「インパール作戦」や「ビルマの竪琴」と先の大戦のことを思い浮かべる人でも、「ミャンマー」がどこにある国かを知っている日本人は多くないかも知れません。
首都ヤンゴンの空港近くに「イエウェイ日本人墓地」があります。当地の日本人会関係者によって毎年秋に墓参が行われています。大戦中にお亡くなりになった方々のお墓はもとより、古くは没年が明治と刻まれたお墓もいくつかあります。おそらくはそれ以前から、ミャンマーと日本は南洋交易を介して長年友好関係を培ってきたことが思い起こされます。
ミャンマー民族は、チベットから移住してきて平地に住むようになったミャンマー族(ビルマ族)が多数を占めます。元々中国人や日本人と同種のモンゴロイドに属しています。そういえば顔立ちや物腰はどこか日本人によく似ています。仏教国であっても上座部仏教(小乗仏教)が主流で、パゴダ(仏塔)や僧侶そして温和な日常生活が溶け合った風景は、けん騒な社会にいる日本人が忘れつつある生命と宗教の織り成す世界観の中で、ミャンマーが今なお生きているあかしでしょうか。
かつては「東洋の宝石」とうたわれ、今は「いやしの国」とも称されるのどかな農業国ですが、最近はエネルギー資源や鉱物資源も豊富な国として注目され始めています。主要輸出品は天然ガス、縫製品、木材、豆類、エビなど、輸入は機械類や工業製品、石油製品などで日本向け輸出はエビ、縫製品、履物を中心に年間200億円程度、日本からの輸入は一般機械、輸送機械を中心に100億円程度の取引高になっています。さらに現在の魅力は、他のアセアン諸国や中国での人件費が上昇してきたのに対して、中国などの3分の1以下とも言われるミャンマーの廉価な人件費水準です。
2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)発生や最近の膨張する中国経済の影響、今後期待されるアセアン経済圏構想などが契機となって、東南アジア・中国・南西アジアとの交易上の要衝であるミャンマーを代替生産拠点として、また分散拠点として検討し始めている日系企業や韓国系企業、中国系企業が少なからず出てきています。従来から日系・韓国系企業が先行して進出している縫製業の関連分野も期待されるところです。とくにスーツ、ドレスシャツ、メンズスラックス、ユニフォーム関連は日本向けで実績を上げています。
人口5400万人、国土面積は日本の約1・8倍、そして自然豊かな緑の国、ミャンマー、この宝石が再び光り輝く日が来るのは、それほど遠い将来のことではないように感じられます。
カンボジア/丸紅タイ会社プノンペン出張所長・松下正敬氏
<09年借款で経済特区開業>
カンボジアと聞くと、まだ戦争と地雷という暗いイメージを持っている方もおられると思います。例えば、娘さんがカンボジアを行きたい旅行先に挙げれば、一言「大丈夫か?」と問うでしょう。ベトナムであれば「何か面白いお土産を買ってきて」となる。そのくらいの違いがあるかもしれません。
しかし、戦争は随分昔のことで、政治はこの近辺では一番安定しているかもしれません。生活権のあるところの地雷はすべて除去されています。カンボジアに来られた方は皆さん異口同音に「街も明るくて、いいところですね」と驚きます。
カンボジアではプノンペン市内にジュンテキスタイル社など、3000人規模の大型縫製工場もあり、縫製業が好調を維持しています。1999年にアメリカ向けにクオータ制が導入されたことで、近辺の国から注目を集め、多数の工場が進出しました。
その後04年にWTO(世界貿易機関)に加盟、同年末にクオータ制が廃止されました。だれもがカンボジアに競争力はなく、諸外国との競争に勝てないと心配しましたが、米国、欧州向けの特恵関税適用、品質面の向上などで好調に輸出を伸ばしています。
現在、総輸出の80%以上は縫製業関係が占めています。最近では中国、ベトナムの労働賃金の上昇に伴い、カンボジアに目が向きつつあります。カンボジアの労働賃金は最低賃金が45ドルと安く、社会保険が制定されていないなど、進出企業にとって有利な条件があります。ただ、日本からの直接投資が少ないことも事実です。
日本政府はカンボジアで唯一の外港シハヌークビルに円借款で経済特区の設立を構想、09年には開業する予定です。この経済特区は特区法を導入し、許認可、通関も含むワンストップサービスを骨格に計画が進んでいます。今年末には日本企業向けに投資ガイドブックが発行される予定です。興味のある方は目を通していただければ、参考になることも多いはずです。
少子化に悩む日本と違い、カンボジアは若者の国です。国民(1300万人)の半数以上が20歳以下です。街を歩くと、若者が多く、活気があるように見えるのはそのせいでしょうか。
日本とカンボジアは実は古くから関係があります。慶長年間には御朱印船が行き来しており、日本人町もありました。その関係でカンボジアから来た言葉もいろいろあります。カボチャはカンボジアから、キセルもそうです。また、関西の方の好きなうどんは実はカンボジアから来たものです(カンボジアには日本のうどんと同じ麺があり、日本人町があった場所はウドンという当時の首都でプノンペンから40キロ程北に行ったところにあります)。
03年には日本とカンボジアは国交50周年を祝いました。外交的にも過去に一点の曇りもなく、日本に対して極めて友好的で、大変暮らしやすい国です。百聞は一見にしかず、是非一度現地を見られることをお薦めします。